投稿日: Apr 06, 2012 12:25:4 AM
ネットのメディア良し悪しを考える方へ
前職の研究調査という仕事では、お付き合いする方で本好きのが多くおられた。本好きというのは2通りあり、本によって新たな世界が自分の前に広がるという臨み方と、本によって権威ずけられたもの以外は信用しないという態度である。当然ながら新しいことに挑戦している人は前者であるし、職権を継承している人は後者のパターンが多い。後者に関しては「本の病」とでもいうものを感じて、文献に無いものは受け入れないで、現実を見ることが少ない困った場合もあった。博学な某先生でオピニオンリーダー的な人でも、自説の根幹は自分で調べたことでなく、選択的に文献を引用しているだけの場合があり、博学さゆえにその説を信用しそうになってしまうし、簡単に疑問をぶつけることができないが、直感的にどこか足りないところがあるという気がすることもある。
本という図書館に集積されたものだけを「知の体系」と考える時代は終わった。21世紀は国立公文書館でも過去の政府の文献をWebで公開してるものがあるし、国会図書館とか公的なアーカイブが公開されていくと、「原典」にあたらないとモノが言えなくなってしまう。本はリアルな世界に迫るためのガイドになるのである。しかしこのようなオリジナル情報の爆発状態に人はついていけるのだろうか?
また新聞社の人は新聞が最も世の出来事をコンパクトにまとめた「社会の見取り図」だと思っている。だからそこで取り上げている骨格となるものの見方が常識の基本になるべきだと思いがちである。これは読者も同じで新聞派という人たちがいる。TVもやはりTVに出る先生が最も権威があるとか、TVで解説されていることが信頼できると考えてしまう人が多い。今ではここがマジョリティであろう。このように過去のマスメディアは、それらに依存してモノを考える人を作り出してきた。それに対して、違うんじゃない? という意見をネットでは発言しやすい。市民メディアとかソーシャルメディアというものがもっと発達するべきだという論調が時々盛り上がることがある。
しかしネットが普及した結果として、検索して上位に出てこないようなものは情報価値が少ない、かのように思う人も出てきた。これは結局巷の喧騒と同じである。現在の検索は検索サービスをする仕掛けの技術的な制約を越えられないものなので、本当に目的をもって何かを探そうとすると、相当なテクニックが必要になる。単純な検索では何万位に埋もれた情報でも、上手にキーワードを使ってAND検索をすると、ずっと上位に出てくる。だから調査のプロ的な人にとってはGoogleは凄いツールであるが、凡人に適切な情報を提供することはなかなか難しい。ただネットではポピュリズムが拡大していくと同時に、ニッチな分野も可視化されていってロングテールも浮かび上がってくるという両面がある。
ネットの時代になっても、人は自分の使っているメディアが提供する情報に飼いならされていく習性からは抜け出しにくい。この罠にはまらないためには、やはりいろんなメディアをバランスよく使うべきなのだろう。