投稿日: Jan 19, 2012 1:1:10 AM
日本はイエスマンが多すぎると思う方へ
最近、某業界ではかつての雄であったK社やH社の窮状がつぶやかれているが、これはもう何年越しのことで、いよいよ大決断を迫られているといえる。昔1980年代にロチェスターに行った再に、地元でK社の存在がいかに大きいかを感じた。H社もハイデルベルグ市では大きな存在で、両社とも地元では誰も悪口を言えないどころか、競合会社のいいところも口にできない雰囲気であった。日本から出かけた私としてはF社はこうしているとかK社はこう、などと言いそうになるのをこらえたものだった。企業城下町というのは「王様は最強です。王様は不滅です。」というトーンがある。
今日のK社やH社の状況は時代の変化に対応できなかったということではあろうが、実はむしろずっと昔から時代の変化を予測していろいろな手は打っていたのに、それらが実を結ばなかったということだ。新規ビジネスに着手しても、それは既存の収益の柱のようには儲からないことは常識である。ちょっとやそっと研究開発したりベンチャー企業の買収をして試作品を出しても、それらは株主を安心させるための「まやかし」のテクニックのようなもので、役員層が時間稼ぎでやっているか、あるいは役員層が本当に馬鹿かのどちらかだ。デジタルの時代においては本当に馬鹿ということもありえる点が怖い。
K社はAdobeのPhotoshopよりも前にCIELUVベースのレタッチシステムを買収して、すごいなと思ったものだった。しかしそれをうまく商品化することはできなかった。それはコンピュータのダウンサイジングや、ユーザインタフェースの改良など、IT側のビジネスができなかったからだ。K社の場合は安いカメラを普及させてフィルムをバンバン使わせるとか、ビジネスに関してはすごく古典的な方法で収益を上げていて、もっとシビアでリスクのある商品開発を真剣にするところまでは行かなかったのだろうと思う。しかしこれは日本の企業にも大いに共通するところがあり、これからの日本の課題も思い知らされた気がする。
結局R&D部門がいくら将来のことを考えていても、利益という点では楽な方に舵をきりがちになるので、経営者自身が相当に創造的破壊ができる人で、役員層と喧々諤々の議論を続けて外部のいろいろな動向も真剣に検討する中でしか新たな方向性はつかめない。しかし企業城下町に君臨していて関連業者に囲まれていると、イエスマンが社内にも地域にも業界にもユーザにも多く居すぎることになるので、役員層の判断が時代から外れていても誰も忠告できないで、結局外部から見ると「王様は裸だ」といわれるような状況になってしまうのだろう。
日本の企業は世界的な覇者である欧米のメーカーに追いつけ追い越せの時代においては、相手の弱点を突いて進撃できたのだが、そういった標的が次第になくなりつつある。Sonyは打倒K社という目標でアナログフィルムのいらないデジタルの映像システムに力を注ぎ、ハリウッド向けにデジタルシネマの開発もした。今度は自分で創造的破壊をする段階になりつつある。