投稿日: Jun 14, 2011 9:55:16 PM
経営の教科書は実行可能なのかと思う方へ
6月14日に岐阜の大鹿印刷所の社長故大鹿洪司さんのお別れ会が大垣でひらかれた。30年ほど前に家業を継いだ印刷会社の規模を一桁拡大させた。一般にはたくさん印刷するのが印刷会社の成長のように思えるが、この会社はそうではなく、何十人もデザイナーを抱えて、遠目から見るとかつての計算センターのような体制でグラフィックデザインの量産をするという特殊な経営をしていた。
創業からカラーイラストなどの入ったデザイン性のある印刷物を扱っていたが、この社長の代になって土産菓子パッケージに特化して、その意匠の点数を日本一にしたのである。数年前に自分史の本を作られて、そのタイトルが「一を以って之を貫く」という社長の信条になっていた。自分の会社のニッチ(マーケット)、生存の条件、得意とすべきこと、などをきっちりと定義して、それにすべてを合わせることを徹底的に行って発展してきた。こういうブレのない会社は珍しい。会社では実業団のソフトテニスクラブがあって、決勝に出るくらいの実力があり、そのことは仕事の徹底振りとも無縁ではないように思えた。
またJAGATの会長に就任する前は中小印刷業の構造改善計画推進に長く関わってこられ、時代の変化に合わせて経営も変えていかなければならないことを啓蒙しつつ、自社も実際に変え続けた。それがデザイナーを大量に抱えたり、経営管理のコンピュータ化、ビデオ制作などに現れており、一見するといろいろ冒険をしているようでもあるが、日本の産業の行くべき道というのを素直に受け入れたビジョンに基づいて行動されていた。総論賛成だけれども、自分はまだ変わりたくない中小企業が殆どであることからすると、思い切りのよい経営であった。
30年の会社の成長は、全く別の会社のようになったにも関わらず、その内実は「一を以って之を貫く」というごとく不変であった。新しい技術に目がくらむとか、それらを導入しなければならないという焦りからではなく、合理的に考えるならば当然の帰結として使った方が得なものとして技術導入がされるのが望ましい。大鹿さんは人に勧められて技術導入をしたわけではなく、ビジネス発展のために独自の工夫をしていると、そこに新技術が顔を出すような感じで、技術の方が大鹿さんに使ってもらおうと追いかけてきた。
大鹿印刷所の発展は印刷業界からは特殊な例のように思われがちであるが、実はマーケティングをして、ビジョンを明確にして、オリジナルな競争力をもつというのは、王道を行く経営をしていたと考えるべきである。