投稿日: Apr 25, 2015 2:4:8 AM
私は1970年代にブルース研究会というのをやっていて、卒論もブルースに関することであったので、当時発売されていたブルースに関する洋書は殆どすべて入手していたし、英語の雑誌もたいていは買っていた。当然ながら音楽は本を読むだけでは満足できるものではないので、本を頼りにいろいろなレコードも集めていった。またレコードの解説を読んで新たな関心も生まれて本も買った。そういう本や雑誌とレコードの相互の作用で音楽観というのが形成されていくのだろう。
本や雑誌に書かれていることは、たいていが特定のアーチストとか、特定のジャンルに対してのみに限定されているので、人の興味のあり方からするとそれはそれでいいのだが、全体感が得られないという限界がある。つまり特定の楽曲の好き嫌いを述べている間はいいのだが、だからブルースはこうである、という思い込みとか言い切りは気を付けた方がよいと思った。ブルース観というのも多様にあってよいのだが、自分としてはアメリカの黒人、とりわけレコードが録音された時点での黒人にとって、ブルースは一体どんなものであったのかを知りたかったが、そういうことを書いた本はなかった。
ブルース本の著者になる人は当然ながら音楽も聞きこんでいてレコードも相当持っておられるわけだが、やはりひとりひとりの偏りというのが感じられる。1970年代でいえば、当時LPとして発売されているブルースを全部買っても大したものではなく(1000枚オーダー?)、それだけでは本は書けないくらいだった。それ以上のレコードとなると、当時すでに入手困難なオリジナルの45回転盤や78回転盤を収集していなければならず、アメリカ人でもそれらを踏まえて本を書いている人はごく稀で、なおさら日本でブルースの全体感をもつのは非常に困難に感じた。
その後35年ほどの間に、当時は知られていなかったオリジナルのレコードがかなり発掘されて、今なら黒人にとってのブルースがかなりイメージできるようになっている。というわけで、30-40年前のブルースの本は、著者の思いを綴ってあるものとしては読めるけれども、ブルースはこうである、という記述の部分は相当割り引いて読むべきである。
個々の本の内容は忘れてしまったものが多いが、今にして思えばチャールズ・カイルの「都市の黒人ブルース」もやはり特定アーチストの解説以上のものではない。
過去の本を踏まえて新しい書き手が登場すればいいのだが、20世紀前半のブルースシーンは遠のいていくばかりだから、なかなか難しいのかもしれない。今必要なことはアーカイブを可能な限り充実させることだろう。
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