投稿日: Nov 27, 2014 1:39:29 AM
ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に日本の手漉和紙技術が登録されることになった。昨年の和食に続いての登録で目出度いのではあるが、中国の手漉中華紙(サムネイル写真)と何が違うのだろうという疑問もわく。そもそもが紙は中国から伝わったものなので、和食のように日本起源とは言い難い。日本の独自性は何なのだろうか? この写真の出所で中国の手漉き紙を調べている人のblogによると、「中国各地では、日本同様、手作業による紙漉きが先祖代々受け継がれている。それぞれの土地において、その原料や製造工程は様々であり、現地にて、その製法や処理方法に驚くことも多い。」「宣紙のように中国を代表する紙は国家に支えられ、また中国画や書写材料としての需要も多く、今後も途絶えることはない。」とある。
このblog主は日本画家のようで、やはり美術工芸の視点で素材としての紙に関心をもったようだ。中国各地の独自の製紙の様子を取材をしている面白いblogであって、手漉き紙にはそれぞれの風土に合わせた作り方があることがわかる。美術工芸の伝承には必要なものという点で無形文化遺産に値するという点では中国も当てはまるし、その他アジアにはいろいろな紙がありそうだ。
一方で日本でも中国でも廃れてしまった手漉き紙というのもあって、それは使い捨てにする紙である。私は一時江戸時代の何々草子という木版本を集めていたことがあった。あまり保存に気を使ったことはないのだが、200年経ったいまでも紙は真っ白で何も変質していない。美術館にあるような国宝級の文化財では1000年以上経ってもそのままである。デジタルの媒体で200年間変質しないものがあるのだろうかと思うほどであるが、逆に何百年も置いておく必要のあるものは滅多にないので、一過性の情報はデジタルになって消えていくのが正解なのだろう。
江戸時代の紙は、油とか布とか塩などとともに年貢として生産を奨励していたし、交易品としての価値も高かった。価値のある素材をベースにして、さらに価値の高い紙製品た美術工芸品をつくっていたことになる。そこには木版本も含まれ、それらは世代を超えて繰り返し読まれ、家の資産として受け継がれていくべきものであったのだろう。家には蔵があって、「ばあさんが嫁入りの時に持ってきた何々…」とか、そこで古いものを発見する経験も子供たちの成長過程では必須のものであったはずだ。少なくとも戦前はそうだった。
しかし出版という産業はそういった財の提供ではなく、産業革命による近代製紙のおかげであるところの使い捨て情報とともに伸びたと言える。これから紙の価値を再考するという機運が起こったとしても、出版とは関係のない方向へ進んでいくような気がする。
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