投稿日: Mar 04, 2013 1:26:11 AM
広告ビジネスに困難さを感じる方へ
広告が嘘つきだとか誇大だとか信用がおけないというイメージは昔からあった。しかし同時にそれを寛容に受け止める雰囲気もあった。ポスターでタレントが商品を手にとってニッコリしていても、そのタレントが本当にその商品を利用しているとか、消費者にその購入を勧めているとは解釈されなかったのだろうが、ネットでタレント名のBlogに商品と宣伝文句がのっているとステマとか言われる。こういった広告に対する寛容性の喪失は、ネットでの情報提供を広告収入モデルで行うことの限界になっている。そこで紙の広告の露出するだけではないアフィリエイトというレベニューシェア的な広告が登場した。
ネットでもポータルサイトのトップのようにアクセスの多いところはマスメディアと同様に考えられるが、一般の細分化された情報サイトにおいてはページ ビューがマスコミとは比べ物にならないほど小さくなって、広告単価が安くなってしまう。紙の媒体の場合は発行部数の水増しをしてもバレにくかったのが、 ネットでクリックの数字やコンバージョン率を示せという時代になると、紙のときのような掲載するだけであとは無責任な広告ビジネスが成立しなくなるのである。
こういうネット広告の難しさに対して、広告表現の問題としては広告の情報価値を高めていくことで、スルーとかスキップされにくくしていく努力があるのだろうが、情報価値を高めるだけでは解決しない課題もある。それは広告に対して販売する会社の実際の応対とかに問題があって、広告とは食い違っているということが多くて、広告の信頼度を下げてしまっているからである。
これはマーケティングにおいては、外に向けて発信する内容に対して、組織内の意思統一や教育訓練が伴っていないというインターナルマーケティングの不足からくる問題だ。別の言い方をすると、広告表現が優れたものになればなるほど、組織内部の欠陥を外部から見えなくするとか、実際以上のものに思わせてしまうことが広告不信を起こす。教科書どうおりの対応は外向けと内向けのマーケティングをバランスよく行えばよいということだろうが、そんな優良企業は稀なので、そんな企業だけ相手にして真面目にマーケティングサポートビジネスをすることが成立していないと、コトラー先生も言っている。
紙メディアでは企業の都合の良いことしか外部に出さなかったのが、ネットの口コミは諸刃の剣であって、企業や商品・サービスの良い面も悪い面も同時に情報拡散してしまう。だから広告と現実のギャップはすぐに知れわたってしまう。広告を企画する時点では優秀な販売現場を想定しているのだろうが、実際の販売現場の能力には差があるだろう。そこがネットでバレてしまうのである。炎上のような目立つことだけが問題なのではなく、一部のクレーマーが騒いだとしても、口コミがそれを打ち消すほどの、企業の顧客対応の実力が問われているのだろう。