投稿日: Dec 28, 2012 1:54:22 AM
ネットジャーナリズムが必要だと思う方へ
日本の最大の危機は竹島でも尖閣でも北朝鮮でも原発でもなく、日本の中の司法・立法・行政という民主主義の基本要件の内にあって、それを部分的に正そうという意見はいろいろあるものの、覆い隠そうとする力の方が強いことが危機だと思った。これは意図的に画策して隠すというのではなく、日本の文化的な特性も強く働いていて、ヤバいところは見ない、考えないで、情緒的にケリをつけることが多くみられる。それにマスメディアも乗って番組を作っていて、ジャーナリスティックな問い詰めるような番組というのは殆どない。震災や原発事故に関する記事では日本のマスコミと海外のマスコミでは論調が大きく異なっていて、日本の良い面も悪い面も海外の方がキチッと表現している。
日本では被災地の人々の暮らしや活動を報道しても、「泣けた」とか「励まされた」でオワリで、だからどのような支援をするべきだという行動に進んでいかない。高校野球でも東北枠で出場校を増やすようなことをしたが、従来の慣習を変えてでも支援すべきことは多くあるのに、TVで目立つことだけして、人々が泣いて励まされればメディアの役割は果たしたように思っているのだろうか。
ジャーナリストならば、震災復興が順調に行っているのか、行かないところがあるならば何処に問題があるのか、良い知恵を持った人はいるか、どうすれば協力し合えるのか、など社会建設という視点で一貫した情報を追いかけるはずで、TV受け狙いで取材に行くことが優先されることはないだろう。このように書くのは、3.11からもうすぐ2年になろうとしているのに、プレハブの仮設住宅でまた冬を過ごし、これから何処で何をするかも分からない方々に対して、とても精一杯の支援がされたとは思えないからである。
通常の住宅地では半年もあれば古い建物が更地になってマンションが建ってしまう。阪神大震災でも2年経つと復興機運であったと思うが、復興に国の予算がついても執行がされないとか、違う場所で違うことに使われている。これは民主党政権がダメだとかの単純な理由ではなく、予算執行の各省庁が行動計画を作る能力に欠けていて、民間に予算消化を外注しているように、ビューロクラートの本来の仕事ができなくなったからだろう。それは自治体の首長が国政に関与しつつあることからもわかる。しかしだからといって政治主導という形で日本の行政のメカニズムを変えられるものだろうか?具体的には何のプランも出来ていないように思える。
日本で役所の権限が大きいのは、生活者が役所に依存することが多いからで、役所をスリム化するには、日々の暮らしのレベルで自治的な要素を増やしていかなければならない。しかしゴミの集積場所や火葬場建設ですら住民間のエゴが解決しないようでは自治や直接民主主義は成り立たない。なぜそうなのかというと、理性的な話し合いが下手で、印象が悪くなるとか感情が先に立つからである。だから社会建設という視点で判断基準を示すジャーナリズムが必要になるのである。
現状の日本のマスコミは大衆紙でしかなく、議論のベースとなるオピニオンの根拠を示していない。ではネットにはそれがあるのだろうか?衆議院選挙前の調査ではネット利用者の投票傾向には癖があって、これはこれでバイアスがかかっていると見られても仕方が無いものであった。現状は残念ながら日本には紙の新聞に匹敵するようなネットのジャーナリズムはないが、アメリカではジャーナリズムは紙からネットに移りつつある。もし日本で自治や直接民主主義が育たなければ、ソ連の崩壊のようなビューロクラシーの自滅が日本でも起こって、戦後のどさくさのようなカオス状態になる気がした2012年だった。