投稿日: Dec 17, 2014 12:54:56 AM
日本の総選挙でかかる費用600億円強のうち、約半分が人件費であるという。それも殆どは地方自治体の職員が準備をしたり当日の運営をする費用にあてられている。つまり総選挙は自治体職員の中からやりたい人が手を挙げて行うアルバイトのようなものだそうで、東京ではそのアルバイトにありつこうと争奪戦になるくらい手当が厚いという。
選挙にかかる費用の無駄はいろいろ指摘されていて、ポスターでも今は安く簡単に作れるものを、商業印刷では考えられないような費用をかけている。自治体職員も民間も総選挙は特需だと考えていて、だれも経費削減には手をつけたがらない。税金の無駄使いを訴えていた民主党は降ろされてしまったし、今回でいえば維新の党が「身を切る改革」と表現していたが、それほど得票は伸びなかった。日本はもっと困窮状態にならないと改革は行われないということなのか?
アメリカの選挙をみていると、地域ごとに投票のやり方が異なる。紙に書いているところもあれば、投票機という機械のレバーをひいて投票するというのもあり、また押しボタンにして瞬時に集計できるものにも変わってきた。前回ではタッチパネルに触って投票するものの出てきた。今日的にいえば、投票用紙に記載するブースにタブレットをおいて、タッチで投票するようにすれば、設置も安上がりで簡単であろう。投票所は本人確認をするところと、無線LANとタブレットだけになる。そして集計も瞬時になるし、数え間違いもない。
そしてこういうありふれた機器で投票ができれば、期日前投票も公共施設のいろいろな場所で可能になるだろうし、健康診断の移動健診のトラックのようなのも可能になり(当然ながらこのためにトラック・トレーラを作るのではなく、兼用・多目的のものであろうが)、自治体の職員の仕事は投票機会を増やすことに振り向けられる。
問題は、いくら改善提案がどこかでなされても、Goサインを出すトップが行政にも政治家にもあまりにも少なすぎることだろう。これは日本の民主的な物事の進め方の中では、事勿れで現状維持がいつも過半数を占めてしまうことからきていると思う。それを押し切って改革を進めらるのは、小泉さんとか橋下さんとか樋渡さんなど癖の強い人になりがちで、理性的・合理的な話し合いの末に改革が実行されることが極めて少ないのが日本の欠点であり、ドイツとは対照的であると思う。
Top → Articles デジタルメディアビジネスの記事 過去記事→Archive