投稿日: Oct 25, 2010 11:5:51 PM
長期的目標が描きにくくなった方へ
Windows95が登場した1990年代の半ばにNewYorkTimesを訪問した時に、テキスト編集のシステムにDigitalのPDP-8(冒頭写真)がまだ使われているのを見てシーラカンスに遇ったくらいびっくりした。外観は1970年代半ばに登場した元祖マイコンAltair8800と似ていて、スイッチの並んだパネルがついている。テレタイプのような入出力機をつなげて使うものである。しかしこれは逆で1970年代半ばに登場した元祖マイコンが、その10年前の1960年代半ばに登場したPDP-8を真似していたのである。NewYorkTimesはPDP-8のテキスト編集システムを20年以上使い続けていたのである。そこはInfoGraphicsの部署であったが、集配信を兼ねるクラシックのPDP-8上Atexシステムから最新のMac・QuarkXPressにテキストを流し込んでいた。今日でもNewYorkTimesはネット上のニュースも意欲的に取り組んでいて、新旧取り混ぜたプラグマティズムは凄い。
Altair8800が今日のインテルPCの一つの源流であるが、1970年代半ばといえばゼロックスのパロアルト研究所でAltoが出来始めた頃で、子供でも使えるコンピュータの試行がされていた。その研究は後に商品としてのゼロックスのStarという元祖ワークステーションになるし、AppleのLisa・Macにつながっていく。PDPなどミニコンと後のパソコンが異なったのは、パソコンは利用のし易さに開発の主眼を置いたので、一般向けに広がったことである。日本にも時々来ていたアランケイは、大学院を出てすぐにパロアルト研究所に入り、中学生くらいの子供にプログラミングをさせたりユーザインタフェースの開発に尽力した。そのプロジェクトに参加した子供の中から、後のLisa・Macの開発者も出てくる。
以上から考えられることは、パロアルトのプロジェクトを通じて中学生が自分達で自由自在に操れるコンピュータが登場しようとしていることが、当事者の中学生が知っただけでなく、メディアを通じて多くの人がインスパイアされていったことである。1979年にSteveJobsはパロアルト研究所を見学して、GUIをLisa・Macという形で製品化したが、イーサネットとオブジェクト指向言語は後回しにして、後にNext社を立ち上げてから採用した。それをAppleに戻った際に持ち帰った。アランケイ達の試みは世界中のコンピュータ開発者に未来を考えさせた。インターネットの時代に入ってブラウザのモザイクの登場はそれと似たところがあり、未来の社会や生活へのチャレンジの重要な要素に通信が入った。
産業用のコンピュータも産業用の通信もずっと以前からあったのに、それが直接若い人の未来へのチャレンジにはならない。若い人が人生を賭けてみようと思うほど夢をはぐくむきっかけは別途必要なのだろう。かつては印刷メディアがそのような夢で賑わったのが、そういうテーマは激減したように思う。パロアルトからPCやインターネットの普及までに20年、それから今日のユビキタスな環境まで15年かかっている。では今日において、10年~20年先の夢としてどんなことが語られているのだろう? ネットの情報の比重が増えた今日では、発言しやすい「…は死んだ」という記事が多めになっているが、むしろ中学生の感性にも訴えられるような未来像を作らないと若い人が引き継いでくれないだろう。個々の会社の事業計画の目標設定のためにも、これから活躍する人のために「きっとそうなるね」というテーマを探り、論理的に検証し、ビジョンとして掲げられるものにしていくことは重要に思える。