投稿日: Jun 19, 2010 12:17:12 AM
オールドメディアのexitはどうなるかと思う方へ
前世紀末にインターネット革命とか言われ、それ以前にもパソコン革命とか、ニューメディア革命など「革命」という言葉は頻繁に使われてきたが、明治維新やロシア革命のような古い政治体制をある時期にreplacementしてしまうことはメディアの世界では起こっていない。どちらかというと、いつ始まっていつ終わったのかわからない産業革命のようなものに近い、ゆるやかな社会構造の変革であり、誰か特定の人が立役者になるようなものではない。しかも産業の構造変化ではなく人々のリテラシーの変化が基であるので、世代の移り変わりによって成し遂げられるものだ。
最近のアメリカでtwitterの利用について電話調査したものがあったが、利用者で45歳以上は18%しかなかった。これらの人の殆どはパソコンもインターネットも日常使ってはいるものの、その延長で自然にtweetするようにはならないということだ。「できる/できない」と、「する/しない」の差はどこにあるのか? おそらくその人にとってパソコンなどのメディア機器がどのようなものであるのか、の違いだろう。鶏を飼うのにも大規模なケージで多くの卵をとるために飼うのと、庭で飼うのとは心理的に違う。犬でもペットなのか、絞め殺して食べるためなのか、では接し方に違いがある。45歳以上の人は多くは社会に出て仕事上の必要性からMicrosoftOfficeを覚え、若い人は社会に出る前から遊びでパソコンを触ったであろう。
デジタルについて社員研修で教えることは広範に行われたが、それはリテラシーにはあまり反映していなくて、社員研修で教えなかったケータイの方がリテラシーには強く影響している。twitterの利用も女性のmail好きと相関しているといわれる。今まで正面から取り組んでいないリテラシーが今後のソーシャルメディア利用においても大きな要素となる。大衆的なメディアのリテラシーは、既存の教育とは別問題で、男女・世代・国民性などで異なっても意外に貧富の差には関係がないようだ。(音楽と似ているか)
ではこれから若い人に期待したらメディアリテラシーが向上しソーシャルメディアの革命が起こるかというと…自然に任せてはそうはならない。残念なことにかつて最新と思われたもの、例えばMacに飛びついたような人々がその後どうなったのかを見ると、ずっと時代のビジネスの先頭に居続けられる人は少なく、Windowsに転向しなければMacしかわからない孤児のようになってしまう。これはケータイのiモードでも同じで、今iモードの達人=iモード孤児でもある。2chも孤児になるだろう。社員研修でリテラシーが変わらないといったが、自己啓発でもリテラシーは変わらないのだ。
人は自己変革しなければ取り残されていく。みんなで取り残されれば怖くないという意識がオールドメディアの終焉を緩やかなものにして、新メディアとのオーバーラップの期間を10年単位のものにしてきたのだ。電子書籍も書籍の自己変革でないならば、読書人生の終りの添え物でしかなくなる。