投稿日: Jul 25, 2011 11:13:9 PM
新デバイスもどこか見覚えがあると思う方へ
ケータイの登場で人々の生活が大きく変わったという人がいる。またスマホが普及することで生活の変化があるのだろうか。ケータイ電話とはいっても、その発達はコンピュータの端末として機能が増えていったもので、それ以前ではウェアラブルコンピューティングといわれたような、人がコンピュータを身にまとうようになるということが、たまたま移動電話を契機に始まったものである。この背景には無線の中継点を町の中に網の目のように配置できる技術革新があった。つまりユビキタスは端末だけの開発でできるものではなく、ネットワーク側にも、サービス開発にも努力が必要なものなので、端末がガラケーからスマホに変わっただけではそれほどの大きな変化にはならない。当然端末の能力が高くなるとサービスレベルは上がるが、時代はクラウドなので、そろそろ思考を端末離れにしなければならないのではないだろうか。
とはいえ、ネットの情報でもガジェットに関する記事は他の記事の何倍も人目をひくようだから、ガジェットの開発が普及を促進する要素であることも確かである。ケータイやスマホが動画鑑賞までできるようになってきたことは、いろんなデバイスがそれぞれ万能な機能をつけようとすると、 新たなデバイスを開発しても他のデバイスと競合してしまって、なかなか棲み分けがうまくいかない可能性がある。しかし実際にiPadで音声の通話をするのは気が進まないように、万能ということはなく、デバイスの棲み分けの基準となるのは、大きさについての人体との関係性(身体性)であろう。
これは紙のメディアの歴史をみても、使い分けられていたもので、本のサイズは文庫、B6、A5、…など大別できるのも、なんらかの根拠があるに違いない。調査をすれば、持ち運んで移動先で読むならB6以下が好まれる、などの傾向がみられるのではないかと思う。そんなところからKindleのサイズもでてきたような気がする。一方印刷物は読むだけではなく、いろいろな道具としての側面もあって、印刷物の道具性こそがモバイルデバイスによるサービス開発の対象になる。注文伝票を書く代わりにECでは画面に入力するようなものである。これもさまざまなものがあるのだが、身体性という点では3段階に分けられると思う。
かつてパームというデバイスがあったが、手のひらに乗るサイズというのが、立ったままで扱いやすいものとしてあり、紙なら手帳が代表になる。これはスマホがぴったりの世界であるが、入力手段はまだ開発の余地があるだろう。アルファベット圏は両手親指入力の仮想キーボードなどがあるが、日本でも1本親指操作に代わるものが考えられる。私は辺をなぞる(両手別々に)ような選択方法がよさそうに思うのだが…。手帳よりも大きいところではノートがあり、これもノートPCとしてすでに普及している。タブレットPCの開発に先立ってペンコンピューティングがあり、それはまさに読み書きの練習に使った石板・チョークの大きさだった。今手描きアプリなどが出てきているが、なぜかアナログのように描くのはまだ難しい。ブギーボードが注目されるようにノート的な書き込みアプリはホットになるかもしれない。
それより大きいのは、本では図鑑や図録であり、A4見開き(A3)くらいの大きさはかつての「シネマディスプレイ」のような文字が読める明視距離での観賞用としてはアナログの時代からだいたい決まった大きさである。江戸時代の東海道五三次などもそんな大きさだったように思う。これくらいになるとモバイルは難しいが、個人での観賞用以外に少人数のプレゼンや学習用にの可搬デバイスとしてはいいだろう。アナログ時代を振り返ることで、これから作られるデジタルデバイスの用途のヒントにするということは盛んになるのではないだろうか。
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