投稿日: Mar 28, 2012 12:41:20 AM
護送船団はピントはずれだと思う方へ
私はデジタルアーカイブ推進派で、個人的にもシコシコやっているものがあるし、JAGATの時のニューメディア・マルチメディア・クロスメディアをテーマにした勉強会でもアーカイブに関することを採り上げてきた。パソコン通信時代にはプロジェクトグーテンベルグがあり、青空文庫ができ、GoogleBooksが登場し、と次第にアーカイブは充実しつつある。そう遠くない時代に、過去の文書も音も映像もすべてデジタルでアーカイブされて、それを手元にあるデバイスから検索して閲覧・視聴するようになる。しかしそれがどんどん進まないのは、商業的な権利が生きていて関連している場合で、ここには2つの考えがある。
1つはなるべく従来のアナロジーをデジタルにも当てはめたいというもので、もう1つは新たなビジネスモデルと考えて権利設定をしなおそうというものである。当然ながら既存の出版界は前者に、IT系は後者に足場を置いているので、同じ法律議論の土俵上でも平行線の戦いが続いている。しかし一方で両方を包含する大岡裁きのような提案を考えるところも出ている。最終的にはいくつか異なる権利設定が並立して、権利者が自分で選択することになるだろう。その先駆けがCC(クリエイティブ・コモンズ)である。いずれにせよ従来は法律議論をしてひとつの結論にしてしまおうとしていたやり方は破綻するであろう。
つまり既存出版系とIT系の差というのは、統一処理派と多様派ともいえる。電子書籍の配信はECサイトと同様に、従来の卸業者が真ん中でコントロールすることが不可能なものなので、どうしても多様派が優勢になる。しかしそれで収まらないのは統一処理派である。せっかく東販・日販という取次ぎの制約下が取り払われようとしているのに、それに代わるデジタル流通の統一処理を作ろうというのは首を傾げざるを得ない。ここには大きな勘違いがあると思う。つまり流通とか配信機構が本を売ってくれるという勘違いである。それは今まで出版社自身でマーケティングをしているところが少なかったから仕方が無いのかもしれない。だから勘違いを正すには、マーケティングのプラットフォームのようなものを考えることで、制作方法をコントロールすることではない。
Amazonをテーマにしたセミナーを考えた理由は、Amazonがモルタルの書店や既存のメディアによる書籍の広告以上のマーケティング・プロモーション能力を備えていることをもっと学ぶべきだと思ったからである。Web上に本の紹介をしたからといって、それだけでは売れないことはすでに証明済みである。では出版デジタル機構は何にピントを合わせているのだろう。キャッチフレーズからするとアーカイブであって、過去の紙の本をデジタルにして閲覧可能にすることは賛成である。しかし自炊程度のデジタル化で従来の紙の出版のような売上げが立たないことは常識でわかるだろう。現に売れなかったから書店の棚からはずされたものをデジタルにしても、それだけでは売れるはずが無い。しかしAmazonなら検索で関連付けて人目に出すことができ、何がしかの金が回ることはできるかもしれない。それに相当することを出版デジタル機構は作るのであろうか?
アーカイブをめぐる有料のサービスは有り得ると思うが、それは無料のアーカイブが広く公開されて、それを使う利用者がもっと便利なサービスを求めたときに起こるはずのものである。