投稿日: Jul 21, 2011 10:33:20 PM
メディアで何を共有すべきか考えている方へ
ニューミュージックマガジンを1969年に創刊した中村とうよう氏が亡くなられた。中村氏を好きな人も嫌いな人も大勢いて、私は何とも思っていなかったが、ただ創刊号から3-4年は毎月買っていた。目的はレコード評が多く載っていて、それが他の音楽雑誌とは異なっていたからだ。中村氏は遅咲きの人なのか2世代ほど下の若者と一緒に活動をしていて、そういう若いライターを前面にたてていた。つまりミュージッシャンと同じような世代の人が、聞き手であり、読者であり、しかも書き手であるというのが出発点であったと思う。こういうことは私も関わっていた音楽ミニコミ誌では当たり前のことであったが、中村氏はそれを全国津々浦々の本屋に流通するものにしてしまったのは凄いな、と思わされた。
こういうミニコミ的な勝手気ままさは、支持もされれば反論もいっぱいあった。中村氏の考えがどうであっても、紙面に登場する若いライターの書くものに興味があってこの雑誌を買っていた人は大勢いただろう。レコード評では100点満点で評者の独断と偏見で大胆に点をつけるようになっていて、それが物議を醸すこともあれば評判にもなった。実は点数など目安にはならず、評者のモノの見方をストレートに表しているだけで どうでもいいのだが、プロの音楽評論家が無難な点をつけるのに対して、その種の音楽に思い入れの強い人は全く異なる尺度で点をつける。例えば新譜のLPが一般的には十分に鑑賞に堪えるものであっても、その10年前に偉大な作品が出ていたならば新譜はコキおろされるかもしれない。
だからレコード会社に対しては失礼なことになってしまうが、そこそこの出来なのに意外に低く点をつけられた評を読むと、もっと素晴らしいものがあることを知ることになるので、音楽ファンにとっては有益な情報だった。私がこの雑誌を買うことをやめたのは、Bluesの新譜の評点がどんどん下がっていって、どうも新譜を買うよりは過去のレコードを探した方がよっぽど満足がいくことがはっきりしてきたからだった。それで購買に関してはLPは売り払って、最初に発売された45rpmの形で買うように変わっていったし、そうなると日本の雑誌は何の役にもたたなくて読まなくなった。
また日本で音楽雑誌をする気もなくなってしまった。雑誌のようなことをするにはレコード会社との付き合いで、聞きたくないものも聞かなければならないということもあった。音楽雑誌を主催する人は、それによって聴く音楽の幅は広がったと思うが、なかなか自分の熱中するものに時間を割けなくなっていったのではないかと思う。自分のコレクションの一部を中村氏に買ってもらったこともあった。プロの評論家を目指すのでなければ「聴く音楽の幅」は関係ないと感じたことと、評論家が陥りやすい「ベスト…」「3大…」「…四天王」という音楽を序列づけするようなことも無意味であると感じたことが、音楽雑誌とは無縁になった理由だった。
おそらく音楽でも美術でも他人の尺度を受け入れようと思っても、そうなりきれられるものではない。そういった作品に面と向かったときに湧いてくるモヤモヤを自分の言葉で表現できるようになれるといいな、と思った。自分が自分に納得するとスッキリするからだ。これは同世代なら共有されやすい感覚であるので、雑誌でもクリエータから視聴者・編集者の同世代でミニコミがいっぱいできたように、今日では新たに何らかのメディア化がされやすくなっているはずだ。