投稿日: Jul 23, 2012 12:31:43 AM
facebookに限界を感じている方へ
河内音頭が今なお地域的な民衆音楽として生き続けていることを記事『パブリックドメインと創作性のバランス』に書いたが、伝承は河内家のような『何々家』というグループで行われていて、盆踊りの頃にそれらが競いあうように歌い踊りまくるというようなものだと思う。YouTubeにも多くの投稿があり、一部はプロ歌手がレパートリーにしているものもあるが、ほとんどはアマチュアであろう。この『何々家』というのはソーシャルといえるが、まだfacebook上にはない。河内音頭は老若男女を問わずに楽しまれているように思えるので、いずれネット上のつながりが出てくるのだろうが、まだ日本のfacebookはリアルのソーシャルには追いついていないところが多くある。
以前のTV番組で面白かったものに『たけしのダンス甲子園』とかいう企画があったが、もし今行われれば応募者の間でソーシャルなグループが形成されて、TV局とは切り離された継続的な活動になるかもしれない。一般に伝統文化を継承している高齢者が若い人も巻き込んだネット利用をできるようには思えないが、若い人が社会的に使うソーシャルメディアが先に確立して、それが時代を経て高齢者も巻き込むというのが、ネット利用の歴史から考えられることである。mixiは仲間内の閉鎖的集団に特化し過ぎて、開かれた社会的なコミュニケーションの要請には応えにくいものとなったのだろう。facebookが今後ずっとあるかどうかは知らないが、ある程度オープンでかつソーシャルなメディアになることが期待されている。
クリエイティブ関係ではfacebookよりもMySpaceが先行していたが、これはクリエータ個人Blogの色彩が強く、グループ化して見せることがうまくできなかった。今日ではまだYouTubeの方が似たものが関連つけられてお勧めになるので、グループに近い使い方ができる。グループは河内音頭の『何々家』のような家元制度的なキッチリしたものではなく、恒例のイベントの参加者とか、あるライブハウスによく出演する者とか、現実社会の関連に基づいてネットでも連携する場所があるのが自然だ。そこでできた新しい関係からさらに人々の活動が促進される可能性をソーシャルメディアに期待しているのだが、まだ目立った効用というのは出てきていない。
海外では親類縁者など血縁関係をfacebook上に反映させることが多いが、日本は必ずしもそうはなっていない。これは文化差であって、日本は会社中心社会がfacebbokにも反映している。こういった旧来の慣習を打ち破ることをソーシャルメディアができたときに、ソーシャルメディアは社会に何らかの影響力をもったとはじめていえるのではないか。