投稿日: Jul 09, 2015 12:45:27 AM
息子が野球好きなので茶の間でつられてテレビ中継を見ていて感じたことは、野球というのは統計のスポーツなのだな、ということだ。しかし日本では監督もコーチも(おそらくフロントも)統計には疎い人が多くて、野球の面白味が損なわれているのではないかという気がする。試合に関する数字をいっぱい出すと、日本では管理野球という言い方がされるが、それと統計のスポーツとは別である。つまりデータを分析することと、作戦や戦術は直結はしていない。データはこれまでの事実を表し、作戦や戦術はクリエイティブな領域だからである。このクリエイティブなところは管理できないのである。
息子は大リーグの諸々のデータにも関心があるらしく、大リーグの選手に関してはカクカクしかじかの条件の場合のデータはこうであるというようなこともつぶやいているが、父親は良く理解していない。それでも打率とか防御率など単純な統計ではなく、もっと個別のケースごとの統計が、その選手の持ち味を表していることは理解できる。平たく言うと「勝負強い/弱い」というようなことがあるが、それをもっとケース分けした統計が使われているのである。だから監督やコーチを補佐するデータアナリストが一緒に居なければ、よい作戦や戦術はできないことになる。
アメリカの場合に、MoneyBall という本や映画になった、ビリービーンとその相棒のデータアナリストの活躍以来、多くの球団で似たような統計ベースの球団管理が進んだようなことを息子が言っておったが、その著名アナリストはもう野球の世界をはずれて、大統領選挙の手伝いをするようになっている。それは記事『ビッグデータ礼賛が見落としていること』に書いたネイトシルバーのことだが、こういうアナリストの出番が各分野に出てきたことは喜ばしい。
Googleのような会社は、偏差値の高そうな社員がいっぱいいて、ユニークな開発や事業をしているようにみえるが、ここでもきっとアナリストとクリエイティブな人の組み合わせで成り立っているのだろうと思う。ビッグデータというと、どうしてもマーケティング分野のことと考えがちだが、これからは分野は何であっても、従来は執行権限を持った人がイチかバチかでやっていたような仕事を、統計的評価を加えながらやっていくことになることを暗示している。
暗示という非常に控えめな表現をしているのは、やはり統計的に現実を捉えることを避ける傾向、つまり現実を見ないで何かをしようとする傾向は根強くあり続けるだろうと思うからだ。