投稿日: Aug 07, 2013 12:14:29 AM
個人情報の温度差
SNSや投稿やblogなど個人がネットに情報をだすことは、日本では「公」になることと思われていないことを記事『情報を「公」にする』で書いた。過去においては放送はBroadcastであり不特定多数に向かって情報をばらまくことで「公」なのだが、通信の世界は1:1の関係で、そこで交される情報は機密が守られるという区分けが明確だった。だから手紙でも電話でも内容について第三者からとやかくいわれることはないし、郵便局もNTTも犯罪に加担したといって共犯で捕まることもなかった。
ネットというのは放送と通信の両方の性質が合わさったもので、利用者は通信であると思っていても「公」の要素もあり、サーバにデータを置けば「送信可能化」であり、それが知財権のあるものなら公衆送信権(著作権)の侵害とみなされる。この解釈は日本では行き過ぎの面があって、まねきTVとか、ダウンロードした電子書籍をDropBoxにおいても違反だとか、いろいろ議論されるところである。
またネットで個人情報を扱う際にも、ネットは不特定多数の人が扱うものなので、ものすごく厳重な管理が要求されることがある。
しかし一般人はそんな議論はおかまいなしで、状況は大きく変わってきた。特にスマホなどが普及することで、個人の日常生活が「公」に送信されるようになってしまったのである。バイト先で悪ふざけしているとか、本日の万引き自慢とか、ナンパのログとか、援助交際相手のオヤジの態度とか、いろんなことが曝け出されている。これらの行動自体は昔からあったものだろうが、以前は文字でも写真でも情報記録はしなかった事柄である。つまり大衆にスマホを与え、SNSやBlogをタダで使わせたがために、表面化したに過ぎないことだ。
おそらく投稿して叱責を受けるネット禍の若者は、タダのSNSやBlogに「公」の面があることに気づいていなかった。と思ったら 「うちら」の世界 という記事をみつけた。『彼らには「インターネット」という概念がよくわからない。…実際にはそれは、インターネットの仕組みの内部で動いているサービスな のだが、ここでSNSと「うちら」の結託が起こる。SNS=うちらとなるわけだ。なんとなくは「インターネット全体」という外部があることは知っていて も、それが「うちら」に積極的に介入してくることは考えない。』と書いている。「うちら」で許されることと、「公」で許されることの差はどこでもあるのだろうが、もしネットで「うちら」の世界が必要ならば、会員制のクローズドなシステムを作ればよい。
若者のプライバシー曝け出しを問題にするのであれば、やはりどこかで「私」と「公」の区分を教える必要がある。昔は放送と通信のように、情報手段そのものが「私」と「公」の区分に対応していたのが、今は技術的には区分できないからである。