投稿日: Mar 07, 2011 11:1:28 PM
炎上はどう抑えるべきかと思う方へ
昔、半鐘が鳴って消防車が走り回る音がすると、火事場に野次馬が集まったものだ。海外でスポーツの観衆が暴徒化することもある。そんな心理がネットのメディアの上にも時々働くことがある。人はこのような危うさをはらんでいることを前提に情報発信は行わなければならない。一旦炎上が起こると、なぜそうなったのか、などを分析して説明しても治まらない。また誰かがお詫びするとか責任をとるとか言っても元には戻らない。新聞の1面で犯人扱いしたずっと後になって、紙面のどこか片隅にお詫び文が出ても、被害を帳消しにはできないのと同じだ。
一昨年見た映画「ダウト」の中に次のような話があった。知らない男の噂話をしまた女が夢を見て激しい罪の意識にとらわれて神父に告白し「噂話をするのは罪ですか?」と尋ねた。神父は「家に帰って枕を持って屋根に上り、枕をナイフで裂きなさい。」といったので女はそうして再び神父を尋ねた。神父「中身は何だった?」、女「羽根です。辺り一面の羽根です。」、神父
「さあ家に戻って風に散った羽根を残らず集めなさい。」、女「それは無理です。風でどこまで飛んだかわかりません。」、神父「それが噂の正体だ。あなたは偽りの証言をし隣人の評判をおとしめた。心から恥を知るがよい。」
記事『見えにくいソーシャルメディアの効用』では炎上マーケティングが有り得ないことを書いた。ネットではアクセスの多い少ないという価値判断があるので、炎上でも何でも注目を集めると何らかの効用があるという考えもある。炎上は自然発生的に起こることもあるが、仕掛けて煽ることも、あるいはそのような姿勢の発言もある。ニュージーランド地震のフジテレビの報道で、足を切断した被害者に対してのレポーターの言葉がネットで物議をかもしたが、ニューズウィーク日本版で「奥田君インタビューはそんなにひどくない」という記事があり、実際には番組を見ていない人が多く騒いでいたことをうかがわせた。1年前の冬季オリンピックでも国母選手の記者会見でかすかに聞こえるかどうかの声に対して針小棒大な書き込みがネットであった。ネットの炎上は事実とかコトの本質とはかけ離れた方向に波紋が広がることも特徴である。
事実無根のことであっても、その過程に巻き込まれた人たちの中には傷つけられる人も多く出てしまう。一方で言い散らかして姿を消してしまう人がいる。こういったネット利用者のことを考えずにメディアの仕事をしていると地雷を踏むことがある。ソラノートの試みは今日的な意義は大きいとは思うが、「なんでも生放送しちゃおう!のコンセプトで、人や場所を問わず、カメラとPCを抱えていろんなものをダダ漏れ(インターネット動画生放送)しまくるサイトです!」という以上、リスクは高い。ジャーナリズムはリスクを承知のど根性で突き進む面はあるのだが、ソラノートはそのようなものではなかったようで、サイトにもポリシーに関する記述はなかった。それはソラノートの対応がピンボケであったり遅れたことにつながっている。
現在はダダ漏れの配信は止まっていて、何らかの組織・人事変更があるのかもしれないが、( http://rocketnews24.com/?p=78125 )ソラノートが今後どうなるのであれ、インターネットライブ配信は続けられていくだろうし、ソーシャルメディアでの炎上も起こりえる。デジタルメディアのポテンシャルとリスクについては、まだ経験が少なくて教本はないが、デジタルメディアに携わるなら少なくともアナログ時代のメディアリテラシーは踏まえておく必要がある。