投稿日: Aug 12, 2010 11:13:3 PM
次のPCの発展はあり得るのかと思う方へ
知人が引越しをするので自作PCに使っていた部品類をくれた。そこには一般に使えるネジ類もあって、そこで感じたのはパソコンの箱を開けて内部をいじるのはやめたのだな、ということだ。今まだ書店に行くと「自作PC…」という雑誌は残っていはいるが、どうみても広告は激減である。また秋葉原を歩いても自作パーツ屋の雄であったT-ZONEがドンキホーテになってしまっているように、パーツ屋ジャンク屋は激減である。残っている店にいっても、パーツ類の棚を縮小している。特に中古パーツを置いている店は稀になってしまった。秋葉原がPCで賑わっていた時代は、日本製のパソコンも作られていて、どんどん新モデルが出て、型落ちが安く秋葉原で売られるとか、機種変更に伴う在庫パーツの放出がメーカーからどんどん行われていた時代である。日本のパソコン生産が激減したのと、技術が落ち着いて新機種が減ったからだろう。
パソコンで何ができると満足なのかは見えてきたといえる。つまりパソコンに欠けている機能はマルチメディアという面ではほぼ実現され、テレビの代わりにも音楽用にも、ビデオ編集も普通に行われるほど、情報家電との関係も出来上がってきた。パソコンの進化はパソコンの使い方を覚えれば、仕事でも私生活でも役立つという方向に行くことで、今まで分かりにくかったコンピュータ業界独特のインタフェースは、直感的に分かるインタフェースに置き換えられていった。それはハードウェアのコネクタから、ドライバ・操作面まであり、これもあるところまで来た。その先にさらにシンプルにしようというのがiPadのようなデバイスであろう。
iPadのようなスタイルが一般的なPCに徐々にとって替わることはいろいろ書かれているが、ではPCは無くなるのか、あるいはPC改造というのは必要ないのか、という話に戻すと、「PCはいらなくなる?」で述べたように、ワークステーションとかサーバとかパーソナルDCのようなところで使われていくと考えられる。例えば3DのリアルタイムレンダリングもできるようにしたビデオカードのGPUを集めてレンダリングのサーバになっているように、特定用途のものを開発することは行われる。ただしそれはロボコンみたいに工学部とか研究所とか専門業者、マニアの領域なので、あちこちにお店ができるようなものではなくなる。
ではミニコンやワークステーションの時代に戻るのかというと、そういった専用機ではなく、PCの発展の中でモジュール化されているものが使えるようになるので、すでにPC部品の組み合わせで何百テラバイトまで拡張できるミニDCのキットが売り出されているほどだ。なぜそのような分野が残るのか。それは大量データ処理のためである。今までGoogleやAmazonがやっていた処理も、もとはといえばどこかのベンチャーがしていた場合が多いが、そういった新しいアイディアやアルゴリズムの情報処理が盛んになって、今までは解析不能のように思われていた何気ない情報の海から、金鉱堀りのように何かを見つけることが増えていくだろう。目下の焦点であるソーシャルメディアとの関連でいえば、自然言語処理のようなところが、個人の研究者でも行えるような時代になるであろう。