投稿日: Jan 30, 2015 1:44:51 AM
今でも年間何万~何十万の客を集める30年とか昔の大歌手やグループがある。一発のヒットも出ない歌手が殆どであるし、ヒットがあったとしても単発が多いのに、何十年も人々の意識から忘れ去られないとは凄いことである。しかしそういう昔のロックグループが来日しても必ずしも喜び勇んで聞きに行くわけではなく、いつも複雑な思いがある。 今ジャニーズ事務所の嵐に若い娘が夢中であり、その人気がずっと続いたとして、30年後のにはステージでは爺さんが並んでいることになり、観客席も婆さんだらけという姿を想像すると、そんな音楽シーンでいいのだろうかと思ってしまう。
ローリングストーンズの場合は、いくらかは若いファンもいた。一応新曲というのも出したりはしている。もしそういう要素がなくて、昔のヒットをカラオケよろしく繰り返しているだけなら、私は見に行く気がしない。多くのファンはそういうことは考えずに、ナマ見られる貴重な機会ということで馳せ参じるのであろうが、やはり創作性とか湧きあがるダイナミズムというのを重んじたいものだ。
昔から同じ曲を延々と繰り返しているだけの歌手もいて、一生の間に同じ曲をいろんなレコード会社に録音している。Professor Longhair もそういう人で、彼は60過ぎで死ぬまでエモーショナルであった。時代が移り変わっても新しい世代がその人にひきよせられていくのである。
いくらベテランであってもエモーションとかクリエイティビティが感じられなくなったら大きなコンサートなどはやらずに、コアなファンとどこかな小さなお店でよろしくやっているのが似合いではないかと思う。
音楽ファンも大観客に右に倣え的な参加ではなく、もっと若い未知数のアーチストに目を向けるようになることが、音楽シーンの活性化のためにはいいはずだ。日本でもライブ活動は増えてきて次第にそういう方向になりつつあるのだが、こと音楽産業になるとオーディエンス数とかファン数が何万~何十万にならないとビジネスとしてのうまみが無いので、自分の昔のヒットを独りカラオケしているような爺さんを担ぎ出すのだろう。
音楽産業も人気商売であるというのは否定しないが、足りないのは音楽批評であろう。独りカラオケになってしまった人を追放しろとは言わないが、日本ではあまりベテランに辛口批評は無いようだし、逆に若い人の発掘に力を注ぐ批評家も少ないかもしれない。
コミケのような下からの盛り上がりの延長線上に、ネットの特質を活かした発掘や批評の仕組みができてくるとよいと思う。
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