投稿日: Aug 12, 2015 2:0:26 AM
私は編集プロパーではなかったが、いつも執筆とか編集の仕事を兼ねていたので、編集部には出入りしていた。主な理由はそこにしか百科事典が置いていなかったからである。また昔、冷房があってもあまり効かなかった時代は、夏になると涼しいところへ逃避しようとして、大きな書店や国会図書館とか米国大使館とか図書館に調べ物をしに行く用事を作っていた。どこかに取材に出かけるというのも、社外に出る口実であった気がする。
これもインターネットの無かった時代だからできたことだ。かつて1~2時間で方の着く調べ物は、今ではたいていがネットの検索で可能になっている。つまり職場の机を離れる口実が一つ減ってしまった。本屋で資料を買い集めて、社に戻る途中で喫茶店に寄って、中をパラパラ見て、どこがどう使えるかを考えるような余裕が昔はあった。喫茶店代は経費では出ないが、自分の机の上ではできない頭の整理ができた貴重な時間だった。
今ネットでは簡単に情報が集められることから、原稿代が下がり、くだらない記事の粗製乱造という悪循環になっているが、もとよりこれはネットのせいではない。ネットの媒体であっても企画・執筆・編集をじっくりやれば質の高い記事になるはずであるし、実際にそのような記事は数は少ないがある。むしろネットでは屁のようなメディアが紙の比ではなく際限なく湧いてくるのが特徴で、元来がそのようなものだと思えば、原稿代の話も、著者・編集者の質の話も、とやかく言うことはないものに思える。
むしろ記事の粗製乱造の現場に居る人が可哀そうである。自分のアタマをつかう余地が与えられていないからである。かつては冒頭のように自分の足で情報が集積されているところを辿り歩いて、その間にいろいろ考える余地があって記事を書いていたのだから、一見すると効率が悪い。しかし情報を求めてほっつきあるくこと、それ自身が教育プロセスでもあったなあと思う。
既にどこかにある情報を繰り返すのではなく、自分なりにまとめ直しをした時に、自分で何か分かった気がする。同時にその結果がまた他の人がそのテーマを気に掛けるきっかけになるのではないかと思う。こういう循環を想定すると、やはり相当多くの類似情報に接しておく必要があると思う。
つま短時間に仕上げないのが原稿作成のコツではないか。学校のレポートもコピペで済ませてきて、自分のアタマで文章を構成をしたことが全然ないという人は居るのだろうか?最近はいるんじゃないかなあと思うようになってきた。