投稿日: May 30, 2014 12:35:55 AM
コミュニケーションが無駄とはいわないまでも
幾ら丁寧に説明しても人に伝えられないようなことがたくさんある。それが戦争になると勝敗を決める要因になることもあった。20世紀になって戦争の技術革新は都市を壊滅させる方向に進んだのだが、兵隊を集めて戦地に送り出す側では、その前の時代の戦い方を踏襲して英雄・勇士・愛国者という意識を植え付けようとしていた。第1次大戦はもう個人が戦争で英雄になる時代ではなかったにもかかわらず、人々は戦争に英雄・勇士・愛国者というイメージを重ねもったままであった。これはアメリカの南北戦争にもいえて、南軍で前線に出てきた勇士たちは銃弾で蜂の巣のようにされていったが、次々にそのような勇士を登場させた南軍は敗れた。日本の特攻隊や人間魚雷も敵を攻略する計画性を持たないまま精神性だけで挑んでいって敗れたものである。
近代から20世紀の戦争の歴史は、人の命にかかわることで「そのやり方はもうダメだ」と言われても、人々が納得するのには数十年とか100年がかかるということを示している。それは今日インターネットによって1秒以内に世界中に情報が巡る時代になっても同じで、戦争と平和に関する議論は数十年間大きな変化はない。第2次大戦が終わって人々の意識が変わるかと思われたのだが、冷戦に突入して40年ほどは平和意識は棚上げにされ、今また排外主義が頭を持ち上げようとしている。
人口の何パーセントかの人は理性的に議論を続けることができるかもしれないが、民主主義の世界で多数決で決定するとなると、ちゃんと議論などしない人の態度に左右されることになる。それは冒頭から述べたように、現代の問題を分析したものではなく、何十年か前の意識を引きずっている場合が多い。日本の雇用や食料や防衛やエネルギー問題などもそうで、だいたいは思い込みに支配されれているので情緒に引っ張られやすい。当然それは日本だけではないのだが…だから国連というのも問題解決につながりにくいともいえる。
旧約聖書では、エジプトでの奴隷生活から脱出したイスラエル人たちが、変えるべき約束の地を神から示されたのに、多くの人が「ああだこうだ」とイチャモンをつけたので、その人々が死に絶えるまで40年間は荒野をさまよって暮らさなければならなくなった、というのは非常に納得できる。進むべき未来と、我々の今までの意識とは、なかなかつながらないところがあるからだ。未来を指向すると我々自身の意識を点検することから始めなければならないのだが、それは多数決の世界では難しい。さまよえるイスラエルの民の場合は、約束の地を信じた人が生き残ってリーダーとなっるまで40年間待ち、大衆が入れ替わることで出エジプトが成就したのである。
排外主義とか戦争賛美が相互に刺激し合うとヤバいわけで、そういうことが何の解決にもならないことが理解される方法はこれといったものはなく、時間が解決するというか、当然そう成るべき真理の実現には時間がかかるということかもしれない。