投稿日: May 15, 2014 12:27:38 AM
メディアは就職先か?
ガ島通信に『5年後、メディアは稼げるか』に触れている部分があった。佐々木編集長は、日本でも旧メディアから新興メディアへの移動が5年も経たずに起きるとしているが、藤代裕之氏は「大移動」は起きないと言っていて、私もそう思う。その理由は藤代氏が書いている以外にもある。だいたい「旧メディアから新興メディアへの移動」という問題設定自体がおかしい。この議論に関っている人の多くは旧メディアでいつまで食っていけるのか、食っていけなくなったらどうするのか、という非常に受け身な発想で論じ合っているようにみえる。それはあなた個人の生活の問題で、メディアの役割とかは全然視点に入っていないのではないかと思ってしまう。
日本の旧メディアの人が欧米のようなフリージャーナリストにはならないだろう。だいたい日本新聞記者はまだ署名記事の歴史が浅く、新聞を読む方も記者名を見ながら読む習慣があるのかどうかわからない。欧米は元々独立しているジャーナリストがいて新聞社と契約して仕事をしていたり、また新聞社の方も面白い記者を引っ張ってきたり、意見が合わないと記者を変えるような取捨選択できるという関係があった。つまり記者も新聞社も独立していて、意見のANDのとれるところで仕事が成り立っていたのである。
アメリカは地方新聞には政党色があるので、この意見のANDはとりやすいが、日本の大新聞となると結局は玉虫色になってしまうので、そもそも色のついた記者と契約することが難しくなってしまう。つまりフリージャーナリストを契約するところが欠けているので、「記者独立の時代、5年で来る」というのはかなり難しい。日本にもWebのメディアはそれなりに存在するが、それは旧メディアからスピンアウトした自営業的なものが多く、それが記者独立の時代であるとはいえないだろう。
佐々木編集長はメディア企業経営を考えているようで、ニュースネタのコンテンツに広告を関連させるモデルで何か新しことをしている例を挙げているが、そういうテクノロジーとジャーナリズムの融合のようなところに競争優位なものはない。むしろ企業経営からメディアが離れつつあることに意味があるのではないか。
アメリカの新聞界に大打撃を与えたCraigslistはたった30人ほどの組織であることを、記事『新聞の定義は変えられるか?』で触れたが、Wikipediaですら少数+ボランティアで運営できているように、メディアの組織形態がネットとテクノロジーですっかり変わってしまうので、既存の企業経営の延長で未来メディアを考えることがふさわしくないように思う。
Wikipediaもすでに立派なメディアであって、トピックな内容に関しては1日に何回も更新されることがあって、新聞よりも早いともいえ、Wikipediaから更新内容だけを取り出せば新聞に近いものになるのではないかとすら思う。またWikileaksのように小さい組織でも政府を揺るがすようなものがでてきて、これも新しいメディアであると思う。つまりこうした社会に対する情報発信の企てが無しに、未来メディアを論じても何も生じないというのが、冒頭の新旧メディア議論で感じたことである。