投稿日: Sep 05, 2013 12:58:13 AM
そもそも何だったのか、そして今
我が家ではあまりテレビをつけないので、1日の中で音楽を聞く時間が長い。親はお互い遠慮してイヤホンで聞いているが、子供は自分の部屋のスピーカーから音楽を流している。母親はうるさいというが、子供が何を聞いているのかわかるからそのままにしている。本人はロックを聞いていると言い、その範囲は1980年くらいから現在まで幅広い。つまり母親の若い頃ともカブっていて、親からCDを借りたり講釈を受けたりもしている。
しかし子供がロックと言っているものが何を指しているのか、私には理解できない。テクノだとかの電子音楽はどう聴いてもロックには思えない。またpopsとrockの違いも判り難い。ロックは死語になっているのではないか?
1950年代のエルビスプレスリーなど、また当時の青春映画などを考えると、当時はrock=rebel という等式があったように思え、この血はハードロックとかパンクとかに受け継がれたのだろう。しかし白人のrockの元となった黒人のrockは全然 rebel ではなく、どちらかというと社交ダンス的な位置にあった。白人の若者男女がロックンロールで踊る映像がよくあるが、黒人場合はオッサン・オバサン、ジジ・ババまでロックンロール的なことをしていた。
白人若者のロックンロールが高校などで行われる参加型のダンスであったのに対して、黒人のそれは酒場が舞台で、次第にショー化していった。つまり見せる超ワザ的なダンスも生まれて行った。その歴史は古く、1920年代のチャールストンの時には既にあったもので、レコードビジネス以前からの伝統であった。だから黒人は1950年代にはジジ・ババまでもロックンロールしていたのである。
いわゆるダンスとしてのロックンロールのカタチが定着したのが1940年代の Lindy Hop で、別名にジッターバグ(虫がうごめくサマ)という呼び方があり、それが第2次大戦後の進駐軍でも行われていて、その日本訛りがジルバだった。アメリカ白人世界では黒人の真似をするのはモラル的にダメだったので、rebel指向の白人ティーンエイジャは積極的にロックを取り入れた。エルビスプレスリーはロック以上にもっと黒人音楽に傾倒していた人物だったので、PTAからは悪の権化のように思われたが、圧倒的な人気により黒人音楽を白人市場に紹介することになり、音楽やダンスの既存のモラルを壊して、ロックはより大きな音楽市場を作り出した。
これは日本やヨーロッパに米軍が駐留したことで、軍のラジオ放送がロックやR&Bを流すとか、各地で米兵と地元の人の交流するダンスパーティーが行われたことで、アメリカのロックは「輸出」品目にまでなった。日本では笠木シズ子とか江利チエミ、美空びばりなども米軍キャンプの出入りでこの種の音楽をしたが、なぜか日本では当初はジャズに分類されることが多く、ロックはロカビリーとしてプレスリーの真似とともに広まった。これは不良ファッションとして音楽も含めて白人のrebelを受け継いだものだった。
こういったロックの歴史的な考察は今日もう意味をなさないように思える。それは音楽として変節したというだけでなく、音楽を聞く側にも、ここ(価値観)から抜け出そうとする rebel の意識はほとんど無いように思えるからだ。