投稿日: Jan 10, 2011 11:11:33 PM
企業の内部紛糾で疲れている方へ
マイコンの登場時、パッケージソフトの起こり、など従来のコンピュータ業界の常識では扱いない分野も、日本では民間の力が盛り上がって新たな世界を立ち上げてきた。パソコン通信もWebもそのようにイギリス・ドイツに遅れることなくスタートした日本であったが、21世紀に入って日本のパワーが感じられないくなった気がする。それはパソコン少年・青年が自由に新しいことを始めた時代は、日本のコンピュータ業界には力があり、ASCIIなどの活動をメーカーが自然発生的にバックアップできたのが、今はメーカーが退潮してしまったからかもしれない。日本にはアメリカのような「ベンチャー+投資家」という構造はないので、日本なりに新たなビジネスが始まる仕掛けを考える必要があるだろう。
かつてのコンピュータメーカーとASCIIなどとの協調がなくなった理由を考えると、両者が同じ志に立ったが故の協調ではなく、単にビジネス機会としてお互いに利用していただけのような印象がある。残念ながらメーカー側でパソコンを扱っていた分野は海外生産や海外調達に切り替わっていく過程で非常に縮小されてしまって、せっかく民間のコンピュータリテラシーを吸収した社員が、コンピュータやネット利用の新たな潮流のビジネスに乗る機会がなくなってしまった。パッケージソフトの会社も退潮になって、既存のコンピュータの世界は内部から作り変えられることなく崩れていって、スピンアウトの人たちを産んだに過ぎないのが日本の現状である。
せっかく日本の若者が世界的なテンポでコンピュータのトレンドに乗ったにもかかわらず、そこから次世代のビジネスをスタートできなかった過去を踏まえて、今後は突破できるように考えなければ、いつまでも新しい分野はアマチュア的なレベルで終わってしまう。今の電子書籍や自炊もそのままではオーサリング方法を巡る議論から抜け出せず、流通は個別企業連合の域を出ずに終わると、大きなビジネスの仕組みは黒船以外はない状態になるだろう。そうなりそうな理由はITやメディア企業の意思決定が老害に蝕まれていて、スピンアウトしたような人をもう一度集めて、その人たちを活躍させるような組織・マネジメントができるように変貌するとは期待しにくいからだ。
今の日本の大企業はコンプライアンス重視から、ネットはリスクがあることを問題にして、業務上の利用規制を多くする傾向がある。記事『Net善説 その1』で書いたが、ネットに問題解決能力が感じられないことが、デジタルメディアに関する老害の最たるものだ。いまだにITやメディアの会社は大きな雇用力をもっていて、働いている若い人も多くいるのだから、彼らを老害の犠牲者にしないための自己啓発やチャレンジの機会を増やさなければならない。若い人は単に老害を敵視するだけでは不十分で、前轍を踏まない自覚も必要である。むしろITやメディアの先輩たちも前轍を踏まえて、スピンアウトしたような人がうまくビジネスをしていく上で必要な援助をするべきで、例えば実社会でのリスクを避けるためのセーフティネット的な役回りが重要だろう。