投稿日: Feb 15, 2012 12:4:58 AM
平田憲行氏のこと
IT分野は次々と新しいものが出ては消えていく新陳代謝の速い世界であるといわれていて、実際にここ何十年間のグラフィックの世界をみても、電算写植、スキャナ、ペンプロッター、ワープロなどが登場しては消えていった。PC化で大変多く登場したワープロソフト・組版ソフトも大多数は無くなってしまった。「現時点」で最高のように評価されるシステムでも、2-3年後にはIT環境が変わってしまって、アップグレードが追いつかなくなってしまう。この数年単位の環境変化を乗り越えるような長期的視点をもって開発の仕事をできた人はほんのわずかしかいない。
1987年当時、私はpageというプリプレス・DTPの展示会・コンファレンスを立ち上げるべく、国内で出展社になりそうなところにアタリをつけていた。それはモリサワが日本語DTPのためのフォント提供をすることが決まって、Adobe社が試作サンプルを持ってきていろいろ話し合っているうちに、日本がDTP時代になるのは確実だと思ったからであった。当時のモリサワの担当者は今のモリサワ社長の森澤彰彦氏である。まだ日本語DTPソフトもイメージセッタも(フォントも)なかったのだが、そのようなものを開発しそうなところをあたっていくと、結構日本はグラフィックスのオープン時代に対応できそうに思え、そのコンセプトで展示会・コンファレンスを企画した。
そんな時にデータベースソフト10BASEを提供していた平田憲行氏にも会い、当時組版ソフトでは手が出なかったような表組や図版の出せるシステムを開発しようとしていることを知った。そのデータベースソフト会社のシンプルプロダクツを興してから自動組版に至ったいきさつについては、JAGATの「プリバリインタビュー 2009.7」にある。データベースにSQLを使っていたことやCADもオープンなものをベースにしたことで、その後のITの変化を乗り切りながら開発を発展させて行けたのであって、独自のデータベースやCADシステムを自分で作った人は、その後ほとんど沈没してしまった。当時はインターネットといってもイエローケーブルの時代で、今日のような10baseTの配線はなかったので10BASEという名称が使えたのだと思うが、その頃の開発コンセプトがまだ生きていて、やるべきテーマが途絶えないというようなことは、今日非常に珍しいことだと思う。
PCというプラットフォームや組版エンジンが変化しても、どんな原理で何を実現しようとしているかということがブレなかったことが、平田氏が一貫して開発に打ち込めた理由で、シンプルプロダクツの後でオープンエンドを創業して、いろんな土台が変わっても平田氏の経験はリセットされるものではなく、未来に向かってさらなるノウハウの蓄積がされていった。直近でもそのノウハウを持ってこれからのスマホ・タブレット時代にどのようなことができるのかを模索されていて、いくつかの重要なコンセプトや事業プランがある。それらは残ったものや次世代を受け継ぐものへの宿題のようになっている。