投稿日: Dec 25, 2010 12:39:11 AM
人の思いは成就しにくいと思う方へ
事実上クリスマスは宗教を超えたお祭りになっている。もともとの原始キリスト教ではいつキリストが誕生したかという記述はないし、それをどのように祝うという形式もない。クリスマスとは「キリスト+ミサ」のことで、12月ではなく1月に行う宗派もある。一般にはヨーロッパにあった冬至の行事にいろいろなしきたりが重ねられたと言われている。キリスト教を信じていない人にとってこれがどんな意味があるのか。家族とか恋人とか自分に最も近しい人々が交わって会食をしたりプレゼント交換をする場としてクリスマスはあるのだろう。キリスト教を核として出来上がった交流の様式が世界中に波及したといえる。
同じようなことにキリスト教式結婚式というのがあり、日本でも今は過半数がウェディングドレスを着て結婚式を行うし、中国の都市部もそうなりつつある。これもキリスト教徒でなくても様式を借りている裏には、個人と個人を神が結び合わせたという捉え方が現代人に受け入れられているからであろう。つまり家とか血縁よりも個人を重視する傾向が、キリスト教式結婚式を広めたといえる。このような様式は誰が決めたものでもないがミーム(文化の遺伝子)化して自然淘汰で勝ち残った例と考えられるだろう。
人間の脳は何代重ねても進化しないが、あるところのミームと他のミームと出会うときに、どちらかが勝ち残って、適応性の高いミームの拡散によって文明文化が進化したがごとく見せている。ミームを直接人が考えたり作り出したりはしなくて、文化の伝播の結果を説明しているに過ぎないが、理屈には合わなかったり、人の都合のよいようには行かないものもミームで説明がつくように思える。サブカルや「下層」文化が蔓延したり、プレゼントをもらう立場の幼児向けにサンタの赤い衣装が売られたりするのは、人間がそもそもは理性で駆動される生き物ではなく、人はミームを乗せて運ぶものに過ぎず、ミーム同士のぶつかり合いで多く複製されるものが適応するという説明である。
今日ではミームはメディアを通じて拡散されている。メディアに対して、あるいはそのコンテンツに対して、人がどのように反応しているかを観察することがミームの観察になる。人をターゲットにOneToOneマーケティングをしても、人がミームの乗り物に過ぎず、別のミームが乗り移るとすると、人を追いかけることはマーケティングの半分でしかなく、ミームの趨勢を見ることがマーケティングの半分になるのではないか。実際にBigDataを取り扱う統計的なマーケティングはその域に達しつつある。