投稿日: Apr 25, 2013 2:6:26 AM
即効のある販促は、すぐ廃れると思う方へ
コンテンツの販売はどんなところで可能になるのかを考えると、あまりにも人々の日常的な事柄は今更お金を払って手に入れようとは思われないし、また今まであまりにも無縁な内容もとっつきにくく、よほど話題性がなければ買うのは冒険的であるから避けられるだろう。
従来のマスメディアはテレビの番組宣伝のように話題性を作り上げてプロモーションをしているわけだが、マスのプロモーションを必要とするようなものはマスメディアに任せておけばよいわけで、ソーシャルや草の根的なメディアにはふさわしくない。しかしWebでもSNSでもマスメディアごっこのようなことは続いている。それはマスに代わるプロモーションがどんなものなのか、まだ模索の段階だからだろう。
以前、沖縄の島歌を大連のカラオケで中国人が歌っているのを聞いたことを書いたが、異文化はほどよい刺激のところで忍び込んでくる。日本が明治以来に西洋文化を取り込んでいった過程も、大体の格好がつくのに100年ほどかかっていて、その時代時代にとって吸収できる異文化要素は少しづつであったことがわかる。今何が人々に受け入れられるかという感覚がコンテンツビジネスにも通じる。
鹿鳴館のような上からの改革はすぐには世の中には浸透せず、大正時代になってブルジョアジの台頭とともに起こった百貨店文化が西洋モダンの輸入ビジネスを開花させた。当時の百貨店はマス広告第一ではなく(そもそも新聞はインテリしか読まなかった時代だから)、営業や通販もやっていて、客層を絞り込んだビジネスもしていた。
音楽では明治になって多くのキリスト教宣教師が学校の先生や西洋化ビジネスの手伝いもしていて、そこで賛美歌・聖歌が持ち込まれ、それらのメロディーが小学唱歌になっていった。当時の日本の西洋音楽家にもクリスチャンが多く、聖歌が元になった歌は多く作られた。
そもそもキリスト教にとっては歌は「お経」に等しいものなのに、メロディが一人歩きしたといえる。しかし賛美歌・聖歌もメロディは西洋のフォークロアから来ているものがかなりあり、有名なのはグリーンスリーブスとかアロハオエもそうである。
まだレコードもなかった時代に、西洋のフォークロアはキリスト教をまとって、その布教に乗って世界に広がっていったともいえるし、それらはマスマーケティングではなく、口コミのようなものとか「寄生」で伸びて行ったのである。つまり異文化を正面から掲げてプロモーションをするようなビジネスよりも、SNSのような浸透に任せる方が、ミーム(文化の遺伝子)にはふさわしいのだろう。