投稿日: Feb 16, 2012 12:57:22 AM
ソーシャルの誤解は多いと思う方へ
ソーシャルメディアに関する情報は非常に増えているが、その大半は受け売りのような内容で、それではいくらニュースを読んでも自分で何かをするきっかけはつかめない。自分にとって、自分の仕事にとってソーシャルメディアとはどういうものなのか、自分の頭で考えられるようにならないと、ソーシャルメディア提案はコピペの軽薄なものとなって、リアルに業務をしている人には響かないものとなってしまう。実際のところ、ソーシャルメディアによる販促も、業務改革のようなソリューションも、まだない。一見そうなっているようなサクセスストリーも、そもそも以前からマーケティング上手な会社の例であることが多いことを以前に書いた。ソーシャルメディアを活用するコツは、ソーシャルメディアをよく知っていることにあるのではなく、リアル世界の限界を知っていることにあるはずだ。
よく見られる、ソーシャル舞い上がり論調にはいくつかの典型があり、ここでは3つの誤解に絞って、どこに出発点を置くかを考えてみたい。その3つとは…
①ソーシャルメディアは社会を変えるためにあるのではない。
②ソーシャルメディアマーケティングは古くからある。
③ソーシャルメディアのつながりはリアルの関係を基盤にしている。
新たなメディアが出てくるときにはいつも社会が変わるという論調があった。新聞もラジオもTVもパソコン通信もDTPもWebも黎明期はみんな社会が変わると言っていたことがある。そういっている間は何も起こらないで、新たなポジションを得るとかビジネスができるようになると、そういう議論はなくなってしまう。それで世界が一挙に変わることはなかったことは、戦争がなくならないとか格差が消えないことから明らかである。「社会が変わる」という願望があるにしても、実質はほとんどホラである。ソーシャルメディアは人の意識を変えると言いたいのだろうが、ソーシャルメディアは人をとりまくあらゆるコミュニケーションの一部でしかなく、ソーシャルメディアだけやっていて達成できるものなどない。
ソーシャルメディアという名前がないときから、ホームパーティー方式のタッパーウェアやアムウェイのような口コミ型のビジネスはあったし、日本では千趣会なども同様の口コミ型で大きな企業に成長した。もっと原始的にはカバンを持って人の紹介を辿って商売する人は昔からいた。しかし詐欺やマルチ商法との見分けがつきにくかったという難点があったが、ネットなどで評価がオープンにされるようになると、良いサービスと悪いサービスの見分けはつくようになる。この問題は記事『情報を見分ける力』に書いたようにメディアリテラシーの延長上の課題であり、ソーシャルメディアマーケティングは新たなリテラシーの確立とともに形を見せることになるのだろう。
ソーシャルメディアで人と人の新しいつながりができるという願望も実態を表してはおらず、facebookの8億とか言われる利用者の中で日本の利用率の低いのは、家族とか親類とかのコミュニケーションが不活発だからで、もともと親族のつながりの強い文化のところはfacebook利用率が高い。日本は(特に東京)はオレオレ詐欺が可能なほど、親子のコミュニケーションが希薄で、全くアカの他人とネットで仲良くなる前に、日常から親のこと子のこと、親族のことなどに気を配ったほうが、よっぽど協力し合うべきテーマが見えてくるはずだ。ソーシャルメディアもリアルの関係を基盤にした関係つくりでないと、アヤシイものが入り込みやすくなるだろう。
ソーシャルメディアに舞い上がっている人は、だいたい世の中を知らなさ過ぎると思える。