投稿日: Nov 09, 2015 1:28:54 AM
NHKテレビで縄文遺跡の番組をしていて、イギリスの研究者が1万年以上続いた持続可能社会云々というテーマで取り組んでいるとのインタビューがあった。まあこれは番組をもっともらしくするための脚色であると思う。ボルネオでもアマゾンでもアフリカでも万年単位の持続可能社会は数えられないほどあるはずである。縄文社会を特徴づけるのはおそらく文化の程度が農耕社会に匹敵するほどになっていたであろう、と思わせるところがあるからだ。それは土偶など非実用製品の多さにあらわれている。
いいかえるとイギリス人が言いたいのは、縄文社会は古代文明から文字を差し引いたもののようだ、ということだ。縄文や弥生という日本の古代で文字が発生しなかったのは、地域社会がフェーストゥフェースで用が済んでしまうような小さな単位であったからだろう。日本の学校教育でも以前は縄文=未開という印象を与えていたかもしれないが、高度経済成長時の開発・発掘のおかげで縄文時代のイメージはかわりつつあり、集落の規模も今と似たもので日本文化の原風景というものになってきている。昔からお歳暮に乾物を贈っていたりしたが、それも縄文起源であり、つまり日本人にとっては「良きモノ」としての縄文時代である。
しかし縄文の文化的な側面については全くといってもいいほど調査研究が進んでいない印象を受ける。例えば土偶が何のために作られたのかとか、火炎土器のような装飾過多の容器は何に使われたのか、などは昔から諸説あるのだが、おそらく外人に説明できるほどのまとまりはまだないのではないか。
縄文土器は煮炊きに使うような実用品は用途などが土器に付着している痕跡から辿れる。おそらく祭祀・儀礼・呪術のためであろう火炎土器の文様は記号なのだろうが、その意味とか読み方、使われ方はまだ仮説すら十分に出来上がっていない気がする。
それは土器に関しては考古学であっても、文様に関しては民俗学とか別の分野と協力が必要になるからではないか。要するに縄文文化は学際的なテーマなのだ。これは弥生時代では卑弥呼の鏡でも同じようにいえて、物質としてのカガミの研究に比べて、文様の側の解き明かしが遅れている。もっと大きく言うと「社会」を研究テーマにすることが日本人は不得意なのだろう。社会という言葉も明治維新に訳語として日本で作った言葉であるくらいだから、社会研究の歴史もその程度でしかない。古代も今も人間は変わらないという視点なら、かなり古代の文化の解明もできそうに思う。
よく縄文時代から弥生時代に変わったといわれるが、弥生といわれる農耕の文明・文化は縄文とのコンフリクトはあまりないままに、縄文より桁違いに多くの人を養うものとなってしまったもので、弥生になっても地域によっては縄文の痕跡は続いていた。とくに沖縄や北海道では縄文は顕著に残っていた。縄文がある時に滅んで弥生になったわけではなく、併存したり混血したりしながら何百年もかけて変化していったと思われる。
それで冒頭の持続可能社会のモデルとしての縄文を挙げるならば、日本の人口も弥生よりも桁違いに少なくなることを前提にしないと参考にできないだろう。なにしろ何百万人の食い扶持を提供したのは、やはり農業であるからだ。そういう意味ではNHKの番組はミスリーディングなサブタイトルであった。
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