投稿日: Aug 04, 2012 2:2:3 AM
すぐに解決しない課題に悩む方へ
津波に伴う原発の事故は日本の社会にとっての緊急テーマである一方で、現代社会の根幹を考え直す長期戦にもなっている。この緊急テーマと長期戦の2面をうまくわけて議論できないと、どんな議論も中途半端になり、単に意見の異なる人を対立させるだけのものとなりかねない。原発再稼動反対のデモが盛り上がるとともに、主催者や支援者の再稼動問題からテーマが外れた無関係な議論というのも増えている。また電力会社の社員の生活をどうのこうの言うのもテーマが外れた無関係な議論である。だが本当はそういった現象面の議論ではなく、100年後の日本はどうあるべきか、というようなことを国民レベルでもっと話し合わないと、緊急テーマと長期戦の関連づけができないはずだ。
緊急テーマというのは、今でも住処を追われ仕事を失った人に対して有効な援助ができていなことで、実際問題として原発近隣でも地震で地形の変化に伴うような災害に対して、被災者に満足をしてもらえるような手の打ちようがない。とはいっても何年もほっておいては被災者も毎年年齢を重ねていくので進学や就職・事業などの面で取り返しのない影響が出てしまう。つまり地勢に関する問題と人生の問題を同時に解決するのは無理なので、分けて検討しなければならない。こういう合理的判断は日本人の情緒的な国民性では行い難いのだなということを感じる。
もう一つの緊急テーマは原発再稼動のようなエネルギー問題で、すぐに代替エネルギーに切り替えられない。今後代替エネルギーは自然エネルギーを活用する方向で広がるのだろうが、目下の問題は高エネルギー需要にどう応えるかである。ヨーロッパの脱原発とは裏腹に、アジアの諸国はさらなる産業活性化のために原発を増やさなければならないという考えなのは、何十年前の右肩上がりの日本と同じ事情である。しかし今の日本からすると、アジアの高度経済成長も先は見えているので、日本が経験してきた公害・環境問題や、進学と雇用や、福祉や年金、ということも早い目に考えた上で国のビジョンを作ったほうがいいと、アドバイスしたいだろう。
それと全く同じように、脱原発のヨーロッパは日本にアドバイスしたいということではないだろうか。原発は文明の到達したところの象徴としていろんな意味をもっている。特に電気による生活の利便性を開発して日本の産業は伸びてきた。某所でチェーンソーを使おうとしたら動かずに困ったことがあって、その時に気づいたのだが今はバッテリー駆動の電気チェーンソーがある。内燃機関に対してモーターというのは給電さえされていればメンテナンスフリーになるのである。白物家電の強さはそこにあった。ガスエンジンのコンプレッサーで冷房もできるとはいっても、ガスエンジンはメンテナンスが必要になってしまう。EVでも同様の強さがあるだろう。
これが電気をつかう生産活動や生活を伸ばしてきた。今更社会から電気をなくしてしまうことはできない。しかし大口の電力需要をエネルギー自給にシフトしていくことは、JRや製鉄所が自家発電をしているように、広げていける余地はある。ビルの冷暖房のようにもともとメンテナンスの行われているところにはガスエンジンが導入しやすいからである。こういったことも100年後の日本という観点では合意しやすいはずだが、各家庭生活の利便性を人質にして原発再稼動を納得させようというのは詭弁であるし、本質的な議論を避けるという点で日本の向上にならないやり方だと思う。