投稿日: Nov 10, 2010 10:49:13 PM
歴史は繰り返すと思う方へ
コンテンツのデジタル化はオンラインのデータベース検索サービスとして1980年頃からあった。通信代金や帯域の問題が解決するに従って、コンテンツのデジタル化には拍車がかかるようになった。それ以前の紙や放送メディアでは、画像の表示サイズから逆算してスキャンの解像度を決めるなど、サービス時点の品質を想定してコンテンツのデジタル化をしていた。これでは同じコンテンツについてデジタルのマスターが複数存在してしまう。だからソースをひとつにして何度も使えるようにすることがいろいろ考えられた。結局ストレージの大容量化もあってその問題はかたずいたように見えたが、今の日本の電子書籍もそのような段階にきている。
ワンソース・マルチユースの現実化は、記事「クロスメディアの10年」に書いたように、XMLとともに一時は大きなブームになりかけた。各業界ごとに何々MLというスキーマがいっぱい出てきた。MicrosoftがXMLを全面サポートするようになったことで、XMLは市民権を得たし、HTMLの世界もXMLに移行させようという考えがあったがそれほど進まなかった。それなのになぜ今またHTML5なのか?と不思議に思うかもしれない。データをXML化する先にW3C Semantic Webの理想が掲げられた。しかしその考え方が否定されたわけではないが、実業の世界はなかなかセマンティックWebに向けた投資はできなくなっている。その代わり利用者に対して気が利いた「セマンティックな」Webはいろいろなtころで小さな工夫がされてはいる。
動く標的
ワンソース・マルチユースがうまく機能しないのは、アナログメディアのような物理媒体とは異なり、デジタルメディアの分野が流動的で、次々に新しいタイプが生まれ、そこに求められるものが従来と異なってしまって、例えば位置情報を追加しなけばならないとか、元もとの「ワンソース」だけでは不足になるからである。つまりワンソースの利用目的が動く標的になっているので、一気に中長期的な大きな開発はできずに、小手先の工夫をしながら、時々まとめてアップグレードをするようなことになってしまう。HTML5はまさにそんないい加減なロードマップに沿った展開をしている。どこへ行くのかよくわからないけれども、未来に向かっていることは間違いない、という程度の指針である。
日本の電子書籍の交換用中間フォーマットというのも、過去に使われているフォーマットをベースに互換性をとるだけのワンソース・マルチユース目的であるならば、これから先のアプリ開発の土台として考えられているHTML5に負けてしまうことは明白だ。だいたい過去に電子書籍を手がけていた人のメリットを第一にすることがピンボケであって、電子書籍のコンテンツもアプリも新しいところがいっぱい参入して活性化することを第一に考えるべきである。今までやってきた人しか関係ないなら、関係者が手弁当でツールを作るのが常識で、国が費用を出す必要も無い。
フォーマット問題の調査としては既存フォーマットの議論は必要だが、それよりも電子書籍が新しく何を切り開くのかというビジョン作りにもっと頭を使うべきだし、その点でアメリカと競争しなければならないはずだ。