投稿日: Nov 04, 2011 1:23:5 AM
性能比べに飽きた方へ
10年前まで華やかだったコンピュータの展示会はすっかり陰を潜めてしまった。1980年頃から20年間にわたってコンピュータはあらゆる分野に応用の場を広げ、いつも新たな話題を作っていたし、その延長に未来を予感させる科学博のようなイベントも人々を魅了した。一方Windows+intelの成功の陰で消えていくメーカーはどんどん増えて、コンピュータ産業の舞台はアジアの製造業に移行した。パソコン関連の小物については確かにアジアで積極的に開発もされるようになったが、未来を感じさせるものはまだアジア(日本を含めて)からは出ていない。日本の家電や電算機メーカーも研究所を作ってメディア技術の基礎研究をしていたテーマは何処に引き継がれているのかと気がかりである。
日本で期待感が持たれていてがんばっている展示会というとIT・エレクトロニクス総合展のCEATEC JAPAN 2011(シーテック ジャパン)くらいかもしれない。しかしいくら技術でがんばってもビジネスの広がりがあるわけではないことは、過去30年を振り返るとわかる。過去にはプラズマでも液晶ディスプレイでも日本で開発してビジネスが伸びた時期があったのは、日本が生産基地であった時代だからで、あくまで工場を操業し大量生産で儲けるきっかけとしてメディア技術を考えていたに過ぎないのではないかと思える。
Steve Jobs のAppleも生産を完全にアジアに移管して以来、製品の設計がよりヒューマンな視点に移っていったと思える。iPod、iPhone、iPadなどのデバイスの操作性と、そこで行き来するコンテンツと、ディスプレイの品質という3つの要素について、商品寿命や技術の進展、また競業社の能力などを先読みしながらバランスよく設計するのは難しいのだが、この3要素のそれぞれに、Steve Jobs のポリシーが感じられキャラクタが滲み出た製品になっている。一方日本のメーカーの情報家電は競合社と合わせたり差別化したり、中心となるポリシーが感じにくいように思われる。
Steve Jobs のこだわりの中で一番中心となったと思われるのは、ディスプレイの品質だろう。その他の要素は時代と共にどんどん変わっていくが、急には変わらないのがディスプレイである。しかも単純なことではあるが、ディスプレイがよいと、コンテンツが栄えるのである。つまりコンテンツを作る人を味方にすることができ、そのデバイスをターゲットに作ってみようとか、作った場合の評価基準にApple製品を使ってもらおうとか、指標にしてもらえることを考えていたと思う。
Appleのきれいな液晶も日本で作っていたにも関わらず、日本メーカーがそういった特長を製品の価値として世に出せなかったのは、やはりメディア技術と設計において性能比べが先に立って、トータルな感性の要素を軽んじたことがあるだろう。