投稿日: Jul 06, 2015 11:52:52 PM
モノを持たない主義の佐々木典士(ささきふみお)氏が朝のNHKに出ていた。昔からそのような暮らし方の人はいたなあと、自分の大学生の頃を思い出していた。着るものが数着と最小限の食器や鍋釜くらいしかない。そうするとワンルームマンションも禅の修行場のようになる。クリエイティブな仕事をする時には、こういったノイズの無い気の散らない場で、頭をスッキリさせる必要はあると思う。通常の生活をする人でも、文章とか、絵とか、音楽のためには、異なる空間を求めるとか用意している場合がある。
しかし通常の生活に必要なモノの量については、なかなかコントロールができないで、ついつい不要物が溜まってしまって、断捨離うんぬんということになるのだろう。もし今日、モノをもたない風潮が若者一般に広がるのなら、それは若者がモノよりも精神性を求めるようになったからだ、と言い切れるのだろうか? 放送ではちょっとそんなニュアンスがあったが、実際は違うと思う。実際はワンルーム禅室の若者も、スマホやPCで俗世間と交流は続けているのである。
昔、物質的な高度成長が一段落したころから、バブルの頃までの間は雑誌がどんどん増えていった時代であったし、そこでは溢れるほどの広告があって消費を刺激していた。ある意味では、モノの充足の時代の後に、文化的な充足の欲求が高まった時代があって、雑誌のようなメディアが多様なライフスタイルを紹介して繁盛したように思う。それはクリエイティブ系とは限らず、レジャー、娯楽、いろいろな分野で細分化していった。あまり細分化しすぎると、もはや雑誌では伝えきれんくなる。
今は雑誌力が落ちてしまって、買って帰りたい雑誌も無くなってしまったのが実情ではないのか。またモノの新製品も魅惑されるような開発がないということもあろう。かつて家電の時代には、テレビやステレオからPCまで電子機器は小さくなって高性能になるとかモノの変化も激しかったので、物欲が刺激されたが、そういう物欲をくすぐるモノが減ってしまったのが実情だろう。
環境という点では、自動車も駐車の問題から維持費までいろいろ面倒だから疎まれているので、自動車そのものが不要と言っているわけではなく、シェアできたらいいなあ、と思われるものがある。
この先のライフスタイルとして思い当たるものが私はある。それはクラシックである。ワンルームマンションもスッキリしてはいるが、文化の香りはしない。しかし田舎の昔の家屋でも茶室でも、それらの細部には意味があり、また昔の住空間はそもそもモノを持ち込まなくても暮らせるようになっているからだ。
同様に街づくりも今は失ってしまった何かがある。おそらくそういったものが分析されるようになるのではないか。
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