投稿日: Mar 21, 2014 1:3:30 AM
1949年にアメリカRCAが45回転盤レコードを発表した時点では、ブルースはアメリカ音楽ジャンルの一つを成していた。R&Bとかソウルという呼び名がまだ無かった頃である。しかし45回転盤の爆発的な普及はRCAのようなメジャー音楽産業を発展させただけでなく、無数のインディーズを生み出した。今でいえば数万円の元手があれば1000枚とかの45回転盤のプレスはできたので、一獲千金を狙う人が多く出た。名刺代わりに自分で作る人もいた。そして黒人音楽でもインディーズの雄となる会社がいくつもできてR&Bやロックンロールが栄えた。それらを私は集めてきたので、図にまとめてみた。
45回転盤は78回転盤に比べるとずっとHiFiであったので、音楽の再現範囲が広がり、黒人大衆音楽も楽団による壮大なグルーブがもてはやされ、ダウンホームブルースのレコードはすぐに衰退して行き、1953-54年にRCAはダウンホームブルースマンとは手を切るようになる。
切られたブルースマンはそれぞれの地域のインディーズに録音を残すことになるのだが、それは弾き語りのようなものではなく、数人編成のコンボとか、R&Bの楽団における一レパートリーとしてのブルースに顔を出すようになる。当時は無名歌手は楽団に色を添えるものとして雇われたりしていた。つまりブルースだけでは食っていけなくなったのが戦後であった。
BBキングなどはダウンホームブルースのリメイクを次々に行ってブルースマンとして生き残った特異な例である。
1960年代に入ると公民権運動などの社会変化もあって黒人の意識も変わり、それまでの貧困テーマのブルースは次第に遠ざけられて、音楽的にもいろんな方向にtransformしていく。音楽形態でもっともブルースに近いのがChittlinミュージックで、Funkもブルースを踏襲したものも多く出た。ソウルの中にもソウルブルースと呼ばれるようなレパートリーができた。
一方でダウンホームブルースのリメイクをする場はヨーロッパなどに広がっていって、多くのLP録音が残されるようになった。図の左の青と緑の部分である。
黒人はブルースをリメイクしたものよりも、transformさせたものを聞くようになったので、45回転盤のブルースは1960年代に入ると減り始め、1970年ころには古いブルースぽいものはほんの例外的にしか存在しなくなる。しかし実は南部のある地域だけに流通するようなインディーズでは、45回転盤が終焉する1990年代初頭まで、ブルースはコンスタントに録音され続けてきたのである。もちろんそれらはLPにもCDにもなっていないので、聴くことは困難なのだが…
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