投稿日: Aug 23, 2010 11:30:50 PM
メディアで正直な社会はできるのかと思う方へ
「Net善説 その1」では、ネットの進展によるコミュニケーションのフラット化が人類にとって良いことであり、この社会変化が自分のビジネスの追い風になると信じることを「Net善説」と言ったが、それではなぜ本来双方向で十分なコミュニケーションができるはずのリアルな世界が「善」にはなれないのか、という疑問が出るかもしれない。近年では民主主義社会への貢献という視点でメディア論がされるように、人類の歴史ではコミュニケーション・メディアの期待と挫折の繰り返しがあって、過去のメディアの不足を補うように発展してきた。しかしメディアに責任をなすりつけるのは見当違いで、たいていは期待が間違っていたのである。考察すべきはメディアへの期待ではなく、メディアの成り立ちであり、マクルーハン的なメディアリテラシーの延長上のことである。
民主主義で多数決をするというのはいろいろ問題を抱えていて、ある時点でYes/Noを迫られることになるのだが、どちらともいえない層の奪い合いでモノゴトは決められがちになる。Yes/No両派は中間層に対するアプローチをすることになるが、いろんなアジテーションやプロパガンダや論争が繰り広げられる。こういった中で、対象が無知な部分につけ込んで詭弁が行われることもあろう。この段階では言いっぱなしの一方向メディアが使いやすいので、20世紀には紙も電波も非常に発達したし、同時にこういったメディアの限界も明らかになったと思う。メディアを使った論争においては、極端で例外的な意見が大きく目立って、議論のための議論が延々と繰り返されていくこともある。その場合は議論が中間層の理解に役立たず、中間層が離れていくことにもつながる。選挙では空論にメディアが費やされることが繰り返された。
ところが選挙では「サイレントマジョリティ」が大きく効くことがあり、これはニクソン大統領などが擦り寄ってうまく使ったことがあったが、そもそも見えないものなのでどの陣営でもいくらでも我田引水的に使うことができる。こういったところを可視化するためにコールセンターが電話などの双方向で世論調査を請け負うようになった。それが統計的な確かさが得られるほど大規模に行われるようになり、選挙結果の予測の確度は高まった。選挙開票速報で早々と当選確実がでるようなことがソーシャルメディアにつながっていくだろうことを、『広告 vs コールセンター』、『国政選挙の空騒ぎに替えてソーシャルを』、『ソーシャルテクノロジー躍進のきっかけ』などで書いた。
今日本全人口1億人強の個人情報を1台のパソコンに収納できるほどになので、さらに何桁も上のデータセンターのレベルではセンチメント分析に取り組むことが増えている。こういったことが進んでいくと、無知につけ込んだ詭弁が行い難くなり、ビジネスでも政治でも医療・法務・国民生活でもサイレントマジョリティの理解が進む可能性はある。実は同時に新しい詭弁や、新たな期待過剰はいつの時代にも起こるのだが、そういったことを是正するメカニズムもネットの上には進展する可能性がある点が今までのメディアとは異なる。今はコンプライアンスは企業にとって負の仕事のように思われるが、それは見えないものを扱う不安があるからで、センチメント分析が進めば、コンプライアンスは企業にとってポジティブな戦略になるのかもしれない。