投稿日: Aug 29, 2015 1:11:58 AM
近年撮影された写真で白黒というのは殆どないはずだが、新聞ではいまだ半分以上が白黒写真である。新聞でも広告はカラーが多いから、広告と同じページとか付け合せになるページの記事ではカラー写真が使えるので、新聞全体でみるとマダラにカラー写真が配置されているように見える。きっと新聞社内部では記事中写真も基本はカラーのデータで回っていて、最後に印刷の都合で最終的にはカラーなのか白黒なのか決まるようになっているのではないか。写真の扱いという点では今の新聞は非常にアンバランスになっていると思う。
もし新聞がインクジェットで刷れるようになったなら、全面カラー化して白黒写真はなくなってしまうかもしれない。でもインクジェットで成り立つ新聞というのはきっと今の新聞社にはできそうにないし、またデザイン的にも内容的にも違う媒体になっているのではないかと思う。
過去に新聞のイノベーションというのはそう多くは無かった。欧米ではDTPの到来とともにひと回り小さいタブロイド版になってオールカラー化した新聞が多かったが日本には波及しなかった。記事『コミュニティペーパーの可能性』で書いたように、ローカルメディアとしての新聞の担い手が日本では少ないのが理由だ。
今、個人でもフォトアルバムを作るようになったように、カラーのメディアの方が自然で、白黒メディアを作る方がノウハウを必要とするようになった。デジタルカメラはカラーで始まり、Webの世界はカラーが標準だったのでカラーインクジェットプリンタが発達した。多くのカラー画像は加工されないでそのまま使われることが多くなっている。画像を見やすくする補正機能の基本はだいたいデジタルカメラに内蔵されているからである。
しかしこれらのカラー画像を白黒に変換すると、かなり見劣りしてしまう。一方世の中には白黒でも格調の高い立派な写真というのもあるわけで、そういった写真は撮影時のテクニックとか、現像のテクニックに裏打ちされていたのだろうなと推測する。それに近い表現をしようとすると、photoshopでかなり階調をいじらなければならなくなり、これは非常にスキルを必要とする。むしろそういうことができる人は非常に少なくなってしまった気がする。そのことが一層今のモノクロ写真を魅力のないものにしている。
例えば群衆が映っている写真があったとすると、カラーなら肌の色、髪の色、衣服の色によって、どのあたりの国か、どんな文化なのかの遠目でも想像がつくのだが、これをモノクロにしてしまうと、どんな人種かわからなくなってしまう。事故写真でも赤い炎が立ち上っているのか白煙が立ち上っているのか、良く見ないとわからない。食事をしている写真でも何を食べているのかわからない。つまり色という情報が欠落することで写真の意味は大きく下がってしまうのである。
それでも白黒写真を報道に使い続ける神経というか慣習はスゴイものだなと思う。