投稿日: Feb 20, 2013 2:13:30 AM
コンテンツは話題になってナンボと思う方へ
NHK総合「クローズアップ現代」がパロディをテーマに採り上げていたが、アホらしくなって途中で見るのをやめてしまった。国谷アナウンサーがバカに見えたが、別に国谷さんのせいではなく、NHKの体質なのでもあろう。本当に議論をしたいのであれば、パロディを認めよという人の番組と、パロディはけしからんという人の番組を別々に先に作って、それから「あなたはどう考えましたか」という番組を作ればよいと思う。原発でも何でも大きなテーマに対してワイワイやっているだけでは、人々に考えてもらうことはできないだろう。つまりNHKでも本気でジャーナリズムはやっていないな、というニオイがプンプンだったので見るのをやめてしまった。
どこまでが許容されるかというのは文化問題で、これは時代や地域や世代や分野で細かく異なっている。そこは一律に決められないから、憲法でフェアユースのようなものをうたって、それに基づいて個別に判断するしかない。メディアにおいても、写真と絵画と、文字とデザインと、音楽と、などそれぞれで基準が異なるのは仕方がない。それは類似性(コピー)の基準がそれぞれ異なるのと同じようなことだ。欧米でのパロディの扱いの違いについても番組では取り上げていたが、こんなことに一律の基準を設けようとか、法制化を考えようという態度自体が、マルチカルチャーなコンテンツビジネスという時代に合わない姿勢だ。
また文化差という点ではパロディを面白がる大阪のようなところと、ストイックな考えの地域では一般人の受け止め方も大きく異なる。つまりオチョくるとかオチョくられる楽しみをもっているところもあれば、イジられるのは屈辱だと思う文化もあるのである。これは作品のパロディに限らず、作品への批評を作家がどう受け止めるかということでもあって、そもそもパブリッシュした以上は何と言われようとも腹をくくらなければならない。批評もパロディも作品が存在してこそであり、こういった作品から波紋が広がることに文化的な意味がある。
今は2次創作は世界規模で行われる時代であるし、たとえ日本で販売できないものでもネットで海外から買えてしまう時代なので(薬物、脱法云々とかポルノみたいに)、かつてのドメスティックな業界の中では可能であったかもしれない、高名な先生が自分への賞賛しか認めないとか、著作権問題で類似性を云々することは実質的に無効になっている。コミケも今は日本国内イベントだが、世界に漫画を描く人口が増えたならば、コミケ風のパロディ作品専門サイトが世界のどこかにできて、eBookで国際的なトレードが出来るようになるだろう。(もうあるのかもしれない)
そういう時代にどうビジネスを伸ばすかということを考える方が、パロディ封じ込めよりも重要だろう。