投稿日: Sep 08, 2015 12:46:52 AM
4年に一度のオリンピック以外にも、何々ワールドカップというようなスポーツイベントが毎年各地で行われている。アマチュアのスポーツでもこのような海外大会に参加しながらオリンピックを目指すというのは大変だろうなと思う反面、果たしてスポーツというのはそのようにしなければならないものなのかと考えさせられてしまう。
頂点に立つ一部の選手にとってはワールドカップの予選に海外遠征することも名誉なことで一生の思い出になるのだろうが、実際は殆どのスポーツ選手はそのような世界大会とは無縁なのに、ワールドカップから逆算して国内のスポーツがされるような逆転が起こってしまうのではないかという気がする。
以前、韓国がオリンピックの金メダルを増やすために、選手強化が熾烈な分野を避けて、選手強化の手薄な競技に熱心に取り組ませたことがあったが、これは本末転倒だろう。日本の場合に金メダルが少なくても銅メダルが多いという傾向があって、これはいろいろなスポーツが幅広く受入れられていることを示している。
スポーツの底辺が広いと国のスポーツ振興予算という点では広く薄められて使われるので、選手にとると手厚い保護にはならないだろうが、本来スポーツは国が旗を振るものではないだろうと思う。
野球も元は軍のモチベーションアップのために生まれた競技であるように、古代から戦争とか戦意というものとスポーツは裏腹の関係があって、良い方に解釈すれば国際紛争につながる感情的な対立を避けるためのガス抜きイベントとしてオリンピックも行われていたが、他方では今でも学校で体罰があったり無用なしごきなど軍隊的風習が残ってるところもある。つまりまだ文化的かつ科学的ではない面も持っている競技もある。でも放送するには人気素材になっている。
しかし流行や人気などとは関係ない古典的な競技は、国威とか予算取りとも関係が薄いようで落ち着いているように見える。オリンピックのメダル競争はジャーナリズムを賑わせて一見するほ華やかなようでも、スポーツで精神性を向上させて人間の成長につなげるという点では、必ずしも重要なものではないような気もする。
その意味では放映権で莫大な資金集めをしようとするオリンピックの存在意義も問い直すべきではないか。そこでは文化的な香りがだんだん失われている。放送する側もスポーツというコンテンツの扱いを再考した方がよいだろう。