投稿日: Oct 24, 2011 12:41:12 AM
生き残った人の心のよりどころになる情報を
仙台市によばれた折に宮城県の地震津波の被災状況について、東広告製版の東社長、高橋写真製版の高橋社長に石巻→女川を案内していただいた ことをこのBlogに載せたのだが、東社長は地震後に宮城海岸部から陸前高田まで多くの写真を撮られていて、そのCDをいただいた。この地域は私は殆ど行ったことはないので、Googleのストリートビューと比較しながらCDの写真を見た。実際にはストリートビューをずっと見続けるのは辛いもので、画像がビュっと動いてぼけたりピントがあったりするのを繰り返すと、車酔いよりもカンジが悪いので、長時間は続けられない。しかしこのあたりの国道沿いは2009年にGoogleが撮影したものが過去を示す貴重な画像になっているので、おそらく多くの人がストリートビューを見たのではないかと思う。2009年の画像は地図情報としては大震災で変わってしまったので、今後どこかで更新されてしまうのだろうが、震災前のものはこれで保存する意味はあるだろう。
以下はストリートビューとの対比で被災状況を見てみたものの一部である。最初の2点(女川町立病院と雄勝町)は東社長の写真である。写真右の現状の姿から、この町の未来を考えることは辛すぎる。左の画像は過去のものだが、癒しや復興の希望につながるものではないだろうか。
女川駅(下の写真)はプラットホームのコンクリートが残っているだけである。高台にある民家は大丈夫なところもあるが、インフラが普及するめどが立たないと、個々人の生活もめどがたたない。
野蒜駅周辺(下の写真)も地図で見ると民家がいっぱいあった。駅隣接のお店(食鮮館&ヤマザキ)の建物はそのままあるが、中は手が付けられていない。
このような比較はきりがないのだが、何も無くなったところから今後のことを考えるのは困難な面もあるので、時々過去を振り返ることができるようにしてあげたい。記憶は次第に風化してしまうので、過去の地域の生活をあらわす資料が失われてしまわないように、今のうちに手を打つことが必要だろう。ただ被災者自身はもうそこには居なかったり、資料よりも先にすべきことがあるはずだから、データベース化のボランティアをする必要があるだろうと思う。