投稿日: Apr 26, 2014 12:21:13 AM
問題は別のところにある
最近、仕事の質と量に関して奇妙な記事をいくつかみたので考察してみた。当然ながら実際に問題にしているのは、一般論ではなく、何か課題を抱えているからなので、課題解決に向けた議論が必要なのだが、ネットのコメントなどは書いた人の論旨もよく理解しない「早とちり」がおおく、かみ合わない議論になりがちだ。一番困るのは論旨がはっきりしない記事であって、それらはdisられる元となる。
一般に質と量は反比例するとか相容れないと考えている人が多い。しかしクリエイティブなところでは、質も量も両立して、一気に質の高いコンテンツができることはよくあるし、企画なども忙しい人が良い仕事をする例はいくらもある。反比例ではないことの決定的な証拠には、時間をかけても質の低い仕事しかできない人が多いことがあげられる。原稿締切が1か月先でも2か月先でも結果は同じ場合が多い。
しかし一人の人間の中で質と量が両立する時期と、しなくなる時期があるのが問題である。いわゆるスランプ状態ね。だからこの場合はスランプに陥らないような自己管理が重要であって、質と量の両立が問題になるのは欲張って仕事を取りすぎた時しかないだろう。こういうこともスランプの原因になる。
クリエイティブではなく、作業の場合は一定の時間にどれだけの仕事をできるかと考えると量をこなすために質を犠牲にするとかいう問題のように思われるが、そもそも仕事の計画がキャパシティを無視して建てられているという問題になる。近年のムチャぶりは緊デジ問題である。日本では新刊書が年間7万点ほど出ていること自体が異常に多いのだが、その出版界に対して10か月で6万点の電子書籍を出せという計画である。電子書籍は過去に紙で出された本のリメイクではあるが、スキャン・OCR・入力・タグづけ・校正などの作業を伴う。
出版社からすると制作は緊デジに外注すればよいように言われても、発注準備はしなければいけないし、校正もしなければならない。この作業を考えても、年間7万点作っている業界に、もうあと6万点やりなさいというのは無謀もいいところで、実際に緊デジの呼びかけに応えて出稿する出版社は目標を大幅に下回った。
だからその時点で緊デジの計画にオカシイところがあると当事者が気づかなければならないはずなのだが、お役所仕事の悪いところで実効のない方向へ突っ走っていった。最近河北新報が事業検証に入っているが、国の予算の使いかたを民間が検証するようにならなければ、勝手なお役所仕事は減らないだろう。
緊デジの作業は一部に安かろう悪かろうの電子化も広めてしまった感があり、電子書籍ビジネスの発展とは逆の作用もあったように思う。本来ならばこれからの効率的でリッチな制作方法の開発のために金を使ってもらいたかった。おそらく役所にもこの場合は「質よりも量だ」という考えがあったのだろうが、質と量を両立させるのがソリューションである。