投稿日: Aug 26, 2013 12:6:53 AM
ウラ経済があったほうが面白い
珍しい写真をみつけた。これは現存する高架下の秋葉原ラジオセンター と同じなのだろうか?秋葉のパーツ屋群の歴史としては、神田界隈の露天商がGHQの指令によって撤去される際に、山本長蔵がGHQとかけあって国鉄の高架下を借用してラジオ関係は秋葉原へと移転させたことからアキバの歴史が始まるとされている。この写真も復員兵のような姿が見られるが、当時の中古パーツ屋は復員兵の仕事であったという。
私は中学校の頃は名古屋に住んでいて、修学旅行でお茶の水の旅館に泊まることになっていたので、修学旅行中の自由時間はフルにアキバでの電子パーツ集めに費やした。何ヶ月も前からCQの広告を下に独自のアキバ地図を作り、順路を検討し、買いたいもののリストを作っていた。その後事あるごとにアキバには立ち寄ったし、東京での職についてからは週1回はアキバに通っていた。しかし今は月に1回も足を運ばない。
私にとってアキバが一番面白かったのは1980-90年代だったかもしれない。その頃はアキバのオモテの顔は大型家電店になっていたが、オモテ通りから1本裏道に入ると、路上で怪しげなジャンクをいっぱい売っていた。それは東京近郊のメーカーの廃棄したもので、大変質のよい手に入り難いプロ用のパーツがあった。そういったものが今ではすっかりなくなってしまった。あるいはネットのオークションに代わった面もある。
それはそもそもアキバの始まりと似たところがある。露天商が国鉄高架下に集まる時に、その場所にハイカラな名前をつけていた。その第1弾が万世橋のところのラジオガァデンで、近年まで進駐軍の放出品を扱っていた日米無線電機商会が生き残っていた。第2弾が東京ラジオデパートで現役である。そして第3弾が駅下の秋葉原ラジオセンターと聞いていた。上記の写真は良く見るとラジオセンターの看板の両側にコンクリートの太い柱がある。秋葉原駅という小さな看板もみえるから、現在と同じところなのだろう。
ちなみに私は路上でジャンクを売っている人から、どのようなルートで仕入れて居るのかを聞き出し、直接自分で出向いてジャンクを手に入れることもしたことがある。またホコテンの際に路上で売って居る人は、アキバで店舗を構えて居るジャンク屋にも卸して居ることがわかった。つまり戦後すぐとか1980-90年代のアキバの盛り上りは非正規流通のダイナミズムであったと思う。これは古書流通に近いものがあると感じた。