投稿日: Mar 02, 2011 11:17:28 PM
メディアで革命は可能なのかと思う方へ
このタイトルはメディアが情緒を左右するともいえる。メディアには人々の意識を変える働きがあるが、メディアを生み出すのも人々の意識であるので、相互に影響しあって大きな力となることがあるのは事実だ。しかしそれは意識とメディアが共振するという原理以上のものではなく、その結果が社会を良くするか悪くするかという善悪判断とは別物である。私は見ていないが最近でもNHKの番組があったようだが、20世紀に戦争のおかげで巨大化したマスメディア産業のことは時々取り上げられることがある。つまり戦争に人々を駆り立てるのにも反戦運動で戦争をやめさせるのにもマスメディアは機能してきた。ベトナム戦争の時のアメリカではこの相反する2つのベクトルが同時進行で展開していた。
ベルリンの壁が崩れたのは、国境を越えて情報が伝わる衛星TVの影響が大きい。それ以前にもソ連や東欧の地下組織にQuarkを無料で配った話を記事『twitterは幻想をふりまいている』で書いたことがあるが、紙の地下新聞に比べて当時まだ新しかった衛星TVのようなニューメディアは国家の統制が及びにくく、リーチが大きくなったからともいえる。アルジャゼラもそんなところから出てきたように思う。しかしデジタル放送の時代になるとアナログのTV放送のようには他国の放送を見ることは難しくなる。各国の為政者はお互いに干渉しないように、今もメディアの境界を作ろうとしているのだ。その点ネットメディアは為政者の盲点になっていて、風穴があいてしまったといえる。
どんなメディアも広く普及すれば社会を変えるような力を持ちえなくなる。今ソーシャルメディアに魔法の力があるかのように思う人もいるかもしれないが、中東の独裁政治にノーを突きつけた民意と同じような作用は、アメリカや日本では起こらないことをよく考えてもらいたい。特にアメリカは、インターネットに火をつけたゴアの後にはブッシュの時代があって、ソーシャルメディアで勝ったオバマが今度はティーパーティに中間選挙で逆転されるように、メディアはニュートラルなので、言い方を替えると、メディアを使うのに熱心な人がメディアで成果を上げるのだ。
だから政治的な弾圧が強くできる国は、情報発信するリテラシーのある人の熱意を削ぐことが、メディアの統制と同時に行われる。民主主義化して政治的弾圧が弱まったならば、アメリカのようにメディアはニュートラルな働きをする。その社会ごとの発展段階のようなものがあって、それに応じてメディアの使われ方は変わるものである。カダフィを追い出せば問題がかたずくわけではなく、まだ部族社会であるリビアに開かれた社会をどう築くか、そのためにどのようにメディアを使うべきか、というのが本質的な話で、これは遠巻きの安全圏で野次馬が騒ぐゲリラ的なメディアの役割ではない。(まだ文字コードやフォントさえも未整備な民族が多いので、そういった部族社会にネットのソーシャルメディアが作用するわけはない)