投稿日: Apr 15, 2015 1:20:25 AM
勉誠出版から最近出た「日中韓マナー・慣習基本事典(佐藤貢悦・斉藤智文・巖錫仁)」をいただいて読んだら、大きなテーマが浮かんできた。この本自体はタイトルのとうりに、中国や韓国に出張したり赴任した人が気づくような日常の事柄を採りあげていて、自分の経験からいろいろ思い当たるところもあれば、「へぇ~」もあり、気楽に読める本であるのだが、欧米の話と違う点が何であるかということもわかってくる。
それは日本人が無意識に共通であるだろうと思い込んでいる点も多かったという点である。欧米の場合には違って当たりまえなので、海外旅行の際には最初から相当構えて向かっていかなければならない面があるが、東アジアは箸でご飯を食べていたりするので、最初から共通の土台の上に居ると思いがちなのだなと、あらためて思った。
このことは重要で、やはり歴史的なつながりの強さゆえに、お互いに気楽になり得る間柄であり、だからこそ互いに反目もする兄弟げんか的要素ももっている。外人に対する「おもてなし」を考えても、日中韓は他の国とは違う要素がありそうだ。つまり英国と米国が同根でも違いが生じたように、互いの違いを認識して文化的な押し付けがないように配慮すべき相手であるということだ。
その昔、阿倍仲麻呂達が遣唐使に同行して唐の都の長安に留学し、唐で官吏になるとか、日本も唐から多くのシステムを輸入するなどの交流があったわけだが、当時の日本と中国では文明文化のギャップも大きかったはずなのに、きっと遣唐使の人たちは、「中国人がやっていることは自分たちもできる」と思ったに違いない。そして近年の中国の解放政策の結果として多くの中国人が日本を訪れ、「日本人がやっていることは自分たちもできる」と思ったことだろう。
実際すでにユニクロからiPhoneまでモノの生産という点ではこの3国は大差はない。街や店を見ても一瞥では変わらないように思える時代である。だが実際に人々の生活にはもっと深い差があって、それはどれが優位ということではなく、日本の地域差のように多様性でもあり、またそれぞれの知恵の集積のような面もある。
そしてこれらの違いの理解というのは、お互いの問題の解決のヒントにもなるかもしれない。欧米で如何にうまく機能しそうな社会システムがあったとしても、日本には根付かないだろうなと思うものは多くある。よく国民性のジョークがあるが、あれは距離感の現れである。
しかし日中韓の相違は欧米ほどの距離感はなく、大阪の人からすると東北の人よりも中国人相手の方が仕事がしやすいかもしれないほど、お互いに何とかやってみようと思える感じがする。とりわけ中韓が若い経営者で国際的に仕事をしているのを見ると、日本の若者が日本の老害の中でもがくよりも、かれらと一緒に仕事をした方がよいのではないかと思うほどだ。日中韓でお互いの分化を理解しあって礼節を重んじるモラルの高いコラボレーションができる時代になろうとしているのかもしれない。
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