投稿日: Mar 20, 2012 1:50:55 AM
なぜPRINTが印刷なのかと思う方へ
昔の同僚の松浦広氏が印刷朝陽会から「図説 印刷文化の原点」という本を上梓した。その第三章は「印刷という用語の始まり」を考察していて、明治の初めに誰がどこでこの語を使い始めたのかを、当時の文献から絞り込んでいる。この種の研究は他にもありそうで結構難しく、取り組んだ人は少なく、説は定まらなかった。漢字の起源は中国であるし木版も中国から来たものだから、印刷も中国から来た言葉であるように思いがちだが、近代の中国には見あたらもので、日本が幕末から西洋文化を取り入れた際に発明したことは確かなようだ。しかし日本でも印刷が一般化するのは官製の印刷局ができる頃で、その間は活版とか摺立とか別の呼び名もあった。この本はそれらの中から、影響力の大きそうな文献を調べ上げている貴重で他に類のないものである。
中国で印刷の歴史を記した文献は「印」を起源とするものが多い。それは印は印鑑だけでなく、朱印船の朱印のような文書(今日的にいえばパスポート)のようなものもあるからである。これはグーテンベルクの聖書印刷に始まるPRINTとはそもそも概念の異なるものなので、PRINTを印と訳すわけにはいかなかったであろうことはわかる。印を英語にするとおそらくイメージングで、これは紙の上などに文字図像を現わすことのはずだ。明治大正では図書は「刊行」すると言うのに対して、ポスター・チラシは「印行」と称して印刷会社の名前が記されていることもあった。印刷会社はイメージングビジネスであったということだ。
ところで幕末・明治に誰が印刷を言い始めたかが、なぜわかり難いのかを考えると、当時あった「版」「摺」という言葉では足らずに印刷という新たな言葉を必要とする状況が未熟であったからだろう。これは印刷という言葉が盛んに使われるようになるのは、廃藩置県後の大量の文書需要が起こった時期で、それは従来の木版ではとても追いつかない量の印刷が必要になったからだ。つまり効率的な印刷システムとしての印刷機の登場が、それまでの手作業の「摺」とは異なる印刷という言葉を必要としたのであろう。
印刷の「刷」とは扁の部分が尻を布で拭う仕草で、旁が刀である。これは拭うのを刀のようなもので一気に行なうことで、自動車のウィンドウのワイパーのようなことだと、何かで読んだことがある。中国では素早くかたづけることに「刷」の字を使うこともあるし、一気に変わることを刷新というなど、機械化された近代にふさわしい象徴的な漢字だったので、印刷機と称して売りに出され、会社の屋号として使うことも広まったのであろう。
このように考えるとPRINTの起源であるグーテンベルグは印刷の要素は揃えたものの、両手にタンポを持って版にインキをつけてプレスしている姿(表紙写真参照)はまだ印刷には至らず、産業革命以降に産業としての印刷が興ったといえるのだろう。