投稿日: Nov 20, 2014 2:14:53 AM
一見するとネットには情報が溢れているように言われるが、実際はSNSや多くのBlogのように、あるいはバイラルメディアのように、どこかにある情報をリンクしているとか紹介しているような「取次ぎ」の役割が殆どで、当事者の発言などがちゃんと読まれて採りあげられることは少ない。要するにネット上の情報の多くは「炎上」に代表されるように野次馬に過ぎないものに占められることがしばしばあり、おそらくネットをマーケティングに使っている人は、PVとかコンバージョンといった数字を、どのように割り引いて捉えるべきか、というのが課題なのではないだろうか。
テレビでネット動画を紹介していることをたびたび考えるのだが、YouTubeで100万回視聴されてもすぐに忘れられるであろうし、もう一度見に行く人もいないだろう。こういう一時の人気を狙ったものは「蓄積」していくことはない。つまりテレビと同じ「垂れ流し」の世界がネット上のトラフィックでも大部分を占める。
それと比較して、人が認識可能でアクセス可能なところにいつも存在するようにしたいコンテンツもあるわけで、もしそれがWeb上でうまいサービスになったならば、電子書籍のようなパッケージ媒体的サービスは不要になる。逆に今日で電子書籍の存在感があることは、Web上にコンテンツが置いてあるだけでは存在感が感じられずに物足りない何かがあるということではないだろうか。
Webの進化はHTML5のような技術指向で語られることが多いが、メディアとしてのポジショニングが問題なのであろうと思う。従来は広告モデルとかに引きずり回されて、何かにつけPVを多くすることが目標になりがちだったが、ノーベル賞候補の論文など読む人は非常に限られてるように、読者が少なくても重要な情報は多くある。そういった活動に有利なものをWebで構築するという目標があってもよいだろう。
コンテンツ作成に関しては、HTMLでもWordでもPDFでもEPUB3でも容易にできるようになっているが、メディアとしてはコンテンツが探しやすいプラットフォーム的な工夫が重要になる。
そもそも、ネットで何らかの主張をしようとする人たちが、野次馬のことは気に留めていないのは、野次馬は時間とともに去っていくことがわかっているからで、うまく野次馬排除ができるのならば、パソコン通信時代からの掲示板(BBS)をちょっと進化させた程度の仕組みでも役立つ。私が時々見ている海外の音楽関係サイトでは、コンテンツの増加とともに、それと連動した形でBBSも使えるようになっていて、不確かな部分や裏話などがそちらに掲載されたり、それに対して有用なコメントがついていくようになっている。要するに成長するメディアになっているのだが、FaceBook以前では日本ではマナーよく成長していくものは少なかったように思う。
昔、音楽批評などをしていて紙媒体の問題として感じていたことは、1ページ単位の限られたスペースにコンテンツを押し込めることの弊害で、説明不足になって誤解を招きやすい点であった。紙媒体では炎上というレスポンスが出来ないのが幸いしたが、今でもネット上に文章を書くときに同じ様な書き方がされることが炎上の契機になっている場合がある。
ネットでは説明不足にならないように工夫ができる点を活かしたプラットフォームが、SNSから脱してもっと出版的な役割を担うものとして、コンテンツに存在感をもたせられる方法がそろそろ出来てもよいように思う。
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