投稿日: Jul 14, 2014 12:59:37 AM
過去に起こった出来事については情報が限られるので、後からどのようにでもストーリーを作り変える人が出てくる。政治、戦争、発明、宗教、なんであっても同じである。当事者が居なくなってからもずっと議論が続くものは、そのようにさせておくのが良いのであって、過去をこうであったと結論をつけてしまう方がおかしいと思う。要するに結論を急ぐよりも資料をなるべく多く見つけることが重要で、見通しがよくなれば自然と結論は浮かびがってくるものだと思う。犯罪が起こったあとで裁判の準備をしているようなものだ。
だから過去の出来事に関して炎上するのがいけないということはない。炎上で問われるべきは、何を根拠にして主張しているのかということである。その根拠が今まで誰も気づかなかったものであれば、一定の価値がある情報になる。当然過去の情報については勘違いや捏造もあるであろう。それも議論をしていけば次第に真相には近づいていく。
ネットの時代になって多く見受けるのは、紙の出版の時代に比べて勘違いや捏造情報が段違いに増えていて、しかも一挙に広がるので、民衆の使うメディアとしてはネットは必ずしもうまく機能はしていないな、と思う。特に写真を使う場合が勘違いや捏造が多くなる。しかもphotoshopの技も進んでいる。
ということはネットでの世論調査・センチメント調査というのは、そういう勘違いや捏造という外乱を差し引いて考えなければならなくなる。
それでも紙の出版よりもネットの方が優れている点がある。それは従来の紙の出版の場合は、どこかの権力者とかにとって何か都合の悪いことが発表されるとなると、出版社に圧力がかかったり、場合によっては本が回収になったり、雑誌が廃刊になるようなことが何度も起こっている。
これが国の規模で世界的に起こることもある。そうなってしまっては、その都合の悪いテーマについては、紙のメディアとかマスメディアでは、分析することも、仮説を立てることもできないことになってしまった。要するに議論が封じ込められやすいのが紙メディアとかテレビのようなマスメディアなのである。
今日のマスメディアの経営は、多くは広告で成り立っているので、広告出稿に圧力がかかるとか、そうでない場合は役所の許認可にかんしての圧力がかかるとか、いろんな力を受けながら行っていた。逆にそういう力を手玉に取るようにマッチポンプのメディアというのもあった。これは小では総会屋の雑誌が、また場合によってはセンセーショナルなジャーナリズムが同様のことをしていた。一見すると真実を暴露しているかのようだが、実は炎上で多部数売ってしまえば、結論はどうでもいいような扱いをすることが多かった。そういうマッチポンプ業者はネット時代になるとナリを潜めている。
しかしネット上には微々たるものであるが、マスコミの出した「結論」とは異なる仮説やその証拠というのも残っている。それらは殆どが個人が管理しているものである。公文書に関しては国立のものが一部をネットに公開している。大学なども原資料のアーカイブを作っているところがある。これは世界的な流れでもあり、人文系では考古学や社会学はネット化の先端を行っているかもしれない。
今まで議論が封じ込められていたものも、アーカイブの充実によって、新たな仮説が構築されるようになるはずである。
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