投稿日: Aug 28, 2014 5:19:25 AM
Blues&SoulRECORD(#119)にMuddy Waters特集があって、その中で鈴木啓志氏が、1950年代にMuddy が渡英した際の英国での評価が散々であったことを書いている。当時盛り上がっていたJazzの先祖がBluesであるということで、英国のJazzファンに応えるために企画されたコンサートだったのだろうが、Muddyが演じていた曲の殆どは英国人からするとR&Bであって、音楽評価に値しないものと映ったようだ。 似たことはアメリカでも起こっていて、それはフォークブームというもので、その中に黒人のBluesが含まれていたわけだが、New Port Folk Festival に現れたMuddyは、数人編成のエレキのバンドの喧騒であって、黒人Bluesマンが生ギターをポロンポロンを弾くと想像していた人たちをがっかりさせた。
Jazzが白人の、しかも英国やヨーロッパにも広まって行くと同時に、Jazzの定義は変化していったと考えらえる。記事『定石を壊して伸びる』で、Googleの音楽変遷図(下図)のことに触れた。
この図は1960年以前はjazzがアメリカ大衆音楽の中で圧倒的な多数を占めていたのが、1960年以降は他のジャンルに浸食されてjazzが急速に萎んでいったように描かれている。が、実際に起こったことは漠然とJazzと呼ばれていた雑多な黒人音楽が篩にかけられて、白人が考えるJazzらしいJazzだけがJazzと呼ばれるようになったことである。
Jazz側からするとR&BとかPop・Rockを排斥したことになる。
排斥された側からすると、記事『音楽ジャンルの謎 1960年問題』の図のように新たなジャンルが生じたと考えればよいと思う。
そしてこの新たな狭義のJazzの分類でJazzの祖先としてのBluesを考え、当時の黒人の現実のBluesにがっかりするということをしているのが冒頭の話である。R&Bなど黒人大衆音楽をしている側からすると、何も変わっていないのだが、狭義のJazzから決別するということが起こった。しかしこれはあくまでレコード分類上の話でアメリカで実演をしている世界ではそれほど変わっていなかったのである。
これはレコードを通じて音楽分類や音楽史を語ることの限界とか弊害の話である。英国のJazz評論家はアメリカの黒人社会とは別のところで黒人音楽の評価をしたことになる。それに類するような、部外者が勝手に音楽分類とか評価をすることはなかなか避けられないのが、メディアによる音楽ということになる。
今は音楽メディアは衰退しているようにみえるが、一面ではそういう弊害が弱まってよいこともある。今後ネットで何らかの音楽評論ができるようになる際には、紙媒体やレコードによるジャンル分けではないものが登場することを期待した。
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