投稿日: Mar 08, 2012 5:40:56 AM
絆からもう一歩前に進みたい方へ
1年前の東関東大震災以来、何か意識が変わった気がするという人は多い。今ままで考えなかったことを考えたり知った1年であったが、多くはザンネンな現状を意識せざるを得なかった。東電も政治家も役人も問題はあるのだろうが、それらをいくら揶揄ってみても拉致が明かないところも見えてきた。東電のような独占的なビジネスは各家庭や事業所から確実に集金する機関として使われているのであって、東電に何ら主体性は感じられない。ここで集めた金を原発行政も役所の外郭団体もメーカーも政治家もマスコミも分け与えられている。この莫大な金の配分システムが原発行政を伸ばしたメカニズムであった。だから表面に立っている東電や政治家や役人をいくら叩いても、首のすげ替えをするだけで、このメカニズムを壊すことにはならない。
これらは日本的な仕組みで、サラリーマンは源泉徴収されることで税の仕組みが分からないでいる。したがって税金の使われ方に関しても意識は高くならない。出版社・取次ぎ・書店の関係でも、本の売れ行きの追求よりは、点数を多く発刊してお金を回すようになって、本のマーケティングというのが見えなくなっている。こういったメカニズムは変わらないものだと大多数の人は思っているのだろう。つまりこのメカニズムの中で日々働いている当事者たちは亡霊のようなもので、この仕組みを変える主権を意識していない。その代表が国会であって、TVで中継をみると幽霊屋敷のように見える。
ソ連邦が崩壊して個別共和国が自立したように、このメカニズムを何とかしようという考えの中には、名古屋や大阪のように都道府県レベルでの自主性を高めていくのがよいということもあろう。しかしそれも地方行政というミニメカニズムに依存しているので、上下両方のメカニズムを変えるという大変困難な目に遭うと思う。結局避けて通れないのは行政の下の方の小さな生活圏であり、ここが民意がもっとも反映させやすいところなので、そこから直接民主主義やNPOなどの直接行動を増やして、亡霊の徘徊するメカニズムからなるべく自立的に人々が暮らせるようにするのがよいだろう。
例えば生活困窮者に対しての福祉の課題があるとすると、住民同士が直接助け合う方法で解決するのがよい。従来のメカニズムでは課題を地方レベルから国レベルに上げて制度化し国の予算を取って役人の仕事を増やして自治体の末端でサービスすることになる。その間に多くの亡霊を抱えることになる。これを地域で助け合って解決するところに何らかの税金の減免をする程度にすればよいわけで、こういったことにかかわる直接民主主義やNPO・ボランティアの道具としてネットが有効に使えるだろうことは想像できる。
政治の仕組みはここでは取り上げないが、ネットメディアとユビキタスな環境によって、生活者レベルがソーシャルビジネスやNPO・ボランティアとの関わりを深めていくことが、よい意味での社会の成熟になるのだろう。