投稿日: Dec 31, 2014 2:15:46 AM
前職の副会長であった和久井孝太郎先生が『メディア”玉ねぎ”論』という500ページ越えの電子書籍を出したので読み始めた。人類の誕生から今日までのメディアのエンサイクロペディアのようなものなのだが、メディアのことだけではなく、文化・文明に関するいろいろな「…とは何か?」にぶつかりながら論を進めるような本である。このベースとなった個々の論は前職場のホームページにあったのだが、今は無くなっている。進化論的な解釈でメディアの進化とか興亡を捉えたものである。
私は自分の仕事としては紙やデジタルメディア関係であったが、趣味としては50年来レコード(アメリカの黒人大衆音楽)を集めているので、音楽や踊りについていろいろ考えることがあり、若い時には必ずしもピンと来なかったのだが、年とともにダンスと音楽と言語とメディアいうのが結びついて捉えられるようになってきた。大雑把にいえば、言語よりもダンスが先行する共有メディアであって、それに声の抑揚がついていって音楽メディアになったのだろう。さらにダンスに先行するメディアとしてイベントがあったであろうと思うが、それはまた別の機会に述べる。
音楽が言語に先行するものであることは、子供の頃にワケのわからないFENから流れるR&BやRock’n'rollになぜか共感した体験からも確かである。アメリカの黒人音楽にはいろいろな引き出しがあり、最初にjazzが白人に評価されて以来何十年かをかけて徐々に全容が明らかになりつつあることを、事あるごとに書いているのだが、中でも黒人音楽の影響が大なのがダンス音楽であった。
記事『エンタテイメントとしての歌と踊』で書いたように、ダンスと音楽はセットになっていて、西洋のコンサートホールが椅子席であるのと対照に、主として黒人音楽はballroomでライブが行われ、みんな立って聴いているか踊っているかであったので、TVの音楽番組も歌のまわりで踊っている様子が映されるようになったのだろう。
アメリカの大衆音楽として白人のC&Wと黒人のR&Bを比べると、後者の変遷はダンスとともにあったといえるし、世界にdiscoブームやclub文化が広がっていったのも、そのダンスという共有メディアの広がりであると捉えることができる。ダンスに含まれる身振りや掛け声などの様式の伝搬(主にリズムの取り方に関して)は、西洋音楽論にはないものであったので、明文化されることはなかったのだが、黒人に限らず世界の民俗音楽にはかならずこういった要素はある。
かつて日本人はラジオやレコードによってしか黒人音楽を知ることはできなかったが、今は映像化されたものが増えてきたので音楽論というのも見直しが必要かもしれない。
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