投稿日: Feb 06, 2011 10:32:49 PM
ジャーナリズムの突込みが足りないと思う方へ
世界のジャーナリズムがエジプトの動向に固唾を呑んでいる間に、日本ではトップ記事を相撲の八百長疑惑が占めている。昔は3面記事と呼ばれていたようなニュースが、TVのバラエティ番組のネタのようになり、それが今は新聞の1面にも反映しているように思える。トップに相撲を取り上げる必要が無いというわけではなく、採り上げ方が子供の遣いのような考察のないものだからだ。twitterの上では、国技、文部科学省、神技、伝統、などいろんな視点で人々が相撲の問題を考え出していることが分かる。統計上7勝7敗の力士は勝つ確率が高いという論文なども、最初にtweetされて紹介された。twitter自身が提供する情報量は少ないが、マメにリンクを辿って在宅ジャーナリストのようになった人もあらわれている。
Web上のジャーナリズムはニュースをきっかけに、記事の下に設けられたコメント欄にものすごくいろいろなことが書き込まれることがあり、そちらの方が記事よりも情報量が多くて意味がある場合も少なくない。しかし日本のジャーナリズムは一般にはコメントをつけさせない。つまりニュースは伝えればそれで役割は終わりなのか、それともニュースは皆が社会を考えるべきものなのか、という違いがあるように思える。後者なら双方向であるインターネットはもっと活用されるようになるはずだ。ところが日本では50歳代がネットの書き込みにまだ十分に馴染んでいないので、コメントが全うなものにならないのかもしれない。
相撲の八百長疑惑については、メールの復元からいろいろなことを推測していて、もっと多くの力士のメール復元に何ヶ月かかるとかいっているが、なんとなく角界そのものがこのことに関して口を閉ざしている空気も感じられる。今何も言いたくないからメールの問題にしているのではないかと疑ってしまう。だいたいこの件はメールが存在したから証拠が残ったのであり、もしメールがなくて家電話だったら証拠は残らないし、電話がなくて立ち話でも証拠は残らない。要するにコミュニケーションツールの問題ではなく、そのような交渉を可能とする土台があることを問題にする必要があるのではないか。
角界の沈黙は、星の貸し借りは絶対に無かったと打ち消していないことでもあり、八百長扱いではなく7勝7敗の時に、さらに何らかの条件が加わった時には、こうするのが仁義とか礼儀という伝統があったとしても不思議は無い。単純統計なら7勝7敗でも勝率5割のはずが、実際は7.5割あるというのは、サラリーマンなら降格を目前にして必死で頑張るようなもので、不可能ではないかと思う。しかし先輩力士を打ち負かしたら彼は幕内では無くなってしまう瀬戸際とかの、勝負の背景の事情というのも当事者たちは知っているはずである。こういった場合に角界ではどのように情緒・感情の動きがあるのか、というのも取材すべきことだろう。
日本のジャーナリズムは事件や事象の現場に立ち入らないで、飛び交う情報の編集をしているだけなら、在宅ジャーナリストと差がなくなってしまう。そのうちWebで名コメントを集めるサイトができたなら、負けてしまうだろう。